夏休みおしまい

2005年8月29日
半年ぶりのエントリー。

別荘で書いていたモノ、編集作業の途中で全部なくしてしまいました。私ってば一体なにをしていたのかしら・・・・・
今日は終業式だった。

担任にお目にかかるチャンスはもうないだろうと思い、昼過ぎに電話すると、午後は予定がないとおっしゃったので、出かけた。
何をしに行ったかというと・・・・未提出課題の提出です。

タロウ三年生が持ち帰る膨大な書類のなかから、未提出の絵や作品がいくつか発掘されている。未提出=未評価である。
発見するたびに
「これはどういうことか?」
とタロウ三年生を詰問したのだが、
「ワカンナイ」「忘れちゃった」「・・・・・(無言)」

提出物を出さず、先生に催促されても放置しておけるほどの神経ならば、それはそれでタロウ三年生は大したタマだと思う。トホホというより、大物じゃないか。おかあさん、セガレを見直しちゃうよ!

しかし実際に親の目から見ると、そんなハラの座った子どもじゃない。気が小さくて争いを好まず、ただただトホホなだけだ。強く言われたら、いかにボーっとしてたって提出物をシカトできるはずがない。

とにかく、この1年間にタロウ三年生たちが課せられた妙な課題は莫大な量だった。
一つ一つなんかチェックし評価しきれないよ、という担任の事情も気持もわかるけどさあ。

指導する側のツメの甘さが、結果として「課題を出さなくてもどうにかなる、出さなくても大丈夫」という刷り込みになるのがオソロシイ。

タロウ三年生のボンヤリな所、不出来なところはさておき、とりあえずチャイムが鳴ったら着席するとか、授業中は立ち歩かないとか、そういう学校生活の躾の一つが「期限を守って課題を提出」という指導じゃないの?チェックし、催促し、またチェックして催促する、居残りで仕上げさせる。そうやって体で覚えさせる以外に、どうやって小さい子に「学校での基本的学習習慣」を身につけさせるというのだろうか。

課題→提出→チェック→評価→学習指導へのフィードバックが行われずに、何が「確かな学力」だ、総合学習だと思う。教員の忙しさは理解するけれど、なんかイイカゲンすぎないか。

<出してなかった作品 その1>

二学期の学習発表会の時、教室も開放されて、こども達の絵や作品が展示されていた。しかし、壁面に貼られていた「くにしらべ」というB4画用紙の調べ学習、タロウ三年生の作品だけがなかった。展示したあとでチェックしてないんだな、あーあ。貼り忘れたのがうちの子で命拾いしたな、先生。いささか呆れたが、そのときは担任には何も伝えなかった。
そして、そのB4画用紙は後に持ち帰った書類の中から未完成の状態で発掘された。
鬼母は激怒し、新しい画用紙を与えて調べ方の指導をしつこく入れ、最初から調べさせ、作らせて完成させた。

<その2>

学習支援(?)か何かでお世話になった大学生へのお礼の手紙もまた、完成済みなのに書類の中から見つかった。提出期限はとっくに過ぎている。

<その3>

「みらいの■■町」というタイトルの絵(B4画用紙。色鉛筆。未完成)が本日、発掘された。ごく最近(今週?)になって描いたものらしい。

本日は、これら未提出作品を持参し、「タロウ三年生がイイかげんで申し訳ございませんでした」と謝ったついでに聞いてみたら、
担任の答は
「提出してないのはタロウ三年生だけ」
「催促は出すまでしている」
「チェックはしているはずだけど」


・・・・そーですか。うちの子は、そんなに大物でしたか。

「では、なぜ学習発表会の時にタロウ三年生の作品だけが張り出されていなかったのか」
と質問したら、いきなり「スミマセンデシタ」と謝りモードに。

なんか若い先生を虐めるおかあさんみたいになりそうだったので、
「今の親はチェックが厳しくなっているのだから、親が見るとわかっている展示物の貼り忘れ、あれは致命的ミスだと思う。うちの学校の保護者みたいに穏和な人ばかりではない。これからは気をつけた方がいい。学年も終わり転勤と聞いたので、申し上げておいた方がいいと思って」
とフォロー。

ああ、疲れる。

私は学年主任とか校長にチクったりしないからね。次の学校ではこんな失敗すんなよ!

とにかく、いわゆる「読み書きそろばん」意外の「そうごう」と「社会」の授業および課題が、ワケワカラン。タロウ三年生レベルの子どもに対して、きちんと課題の意図を理解させていない。
(念のため言っておくが、この人は素頭はよくなさそうだが、鬼母に勉強を強いられてるので、今のところ大幅な学習の遅れはない。算数はよく出来て、漢字は並み上、国語の読解は並み下、理科と社会は並み)

タロウ三年生の学年の「そうごう」「社会」は、ムチャクチャでした。
たとえば1学期・・・・
「明日、200円もって来いって」
何、学校にお金?そりゃ何の集金だ?プリントも集金袋も来ないぞ。
「遠足のおやつを買いに行くんだよ、みんなで!」(嬉しそう)
学校から徒歩30分もかかる巨大駄菓子屋に学年全部(と言っても50名)で出撃して買い物するためだそうです。授業時間を3時間も使って。

これが体験学習ですか・・・
買い物したことのない子どもっているの?学校で授業時間を使ってやらなくちゃいけないことなの?授業時数確保とあれほど言って二学期制を導入しながら、体験学習が駄菓子ショッピング。
子どもの食生活の管理は、基本的に保護者の権利です。遠足のおやつ、200円までというのは分かる。しかし何を買うか、何を食べさせるかを親の管理下から奪う権利が学校にあるのか。
サトウ・着色料・添加物その他を食べさせたくない親だっているかもしれない。
この無自覚。
子どもにはウケるだろうよ、そりゃあ。ウケればいいのか?学校って子どもに何を与えるところなの?

一事が万事この調子で1年間が過ぎた。
そしてフィニッシュ。
お笑いください、グループ単位の「ちいき調べ」が完成しないまま、終業式でした!
2,3人のグループを作って、市内の「ちいき」とやらについてしらべる(一体なにを?)。懇談会でも母親たちから批判がいくつも出たのに、そのまま続行。案の定、完成できないグループがいくつもあった模様。

今日、担任の先生に会って未提出課題を出したあと、この「ちいき調べ」についても質問してみた。というのは、今朝タロウ三年生は
「ちいき調べが出来てないから、早く学校に行ってやらなくちゃ」
と言っていつもより早起きして出かけていったのだ。帰宅後に、どうだった?と質問したら
「終わらなかった」
・・・・え?だって、今日が終業式じゃん・・・・担任は転勤だろ?終わらなかった課題はどうなるんだよ??あれだけ家族も巻き込んで調べさせて授業時間も使って、未完成・評価なし・当然つぎにつながる授業へのフィードバックなしって。
担任の先生にそのことを聞いたら
「終わってないグループもありますねえ、時間が足りなくて」
平気で言う。


じゃあ、その模造紙は来年度はどうなるんだよ、先生は転勤しちゃうのに。未完成な中途半端なままでオシマイって、こども達が費やした時間、訳の分からないまま課題をこなそうと悪戦苦闘した作品へのフォローも評価もなしなの??

スキー

2005年2月6日
先週ブリザードのせいで連れて行けなかったので、今日は朝から出撃!
9時過ぎに到着しスクールの申込をしたら
「今日はスキー場のお祭りだから、午前のスクール代は無料です。保険200円だけで結構」とのこと、やったーー!!
スクールに入るとリフト1日券が400円で買える。つまりですね、たった600円で2時間のスキースクールだよ。素晴らしい。
集まった十数名の小学生、いつものように幾つかのグループに分けられた。タロウ三年生と同じくらいの子二人をコーチ一人が面倒みてくださる。アリガタイ。
今日もクラスの子二人と遭遇。スイミングの友だちにも遭遇。
うーん、この町って狭い?
ギター侍を知らなかった私。ハズカシー。
去年の流行語大賞だったのね・・・・
そんな鬼母に、心優しいママ友だちがメールで教えてくれた。
ありがとう、競馬ママ!


>タロウ三年生の担任が、教室でこの歌のCDをかけて聞かせてくれたそうだ。
>どういう意図で聞かせてくれたんだろう。

私も聞きたいですね。どういう意図だったのかな。
大〜いに疑問です。(ロクでもないものを子供に聞かせるね。というイミで)

それにしても
>せんせい、ギター侍ってなんですか?
にはちょっとビックリです。
だって去年の「流行語大賞」だったじゃない。
「ギター侍」のキメ・セリフの「残念!」っての。

>多分一発屋だろうなあ
これはアタリ。
「ギター侍」は今、お笑い番組だけでなく、バラエテイー番組でも
その姿と(ワンパターンの芸を)見ない日はないですヨ。
ラジオやTVのCMにもひっぱりダコ。

相手の(普段、みんなが思っていても口にださないような言い難いコトを)言葉で「バッサリ斬る!」痛快さがウケたのです。
でも、そろそろ落ち目かな。爆発的に売れた芸人(芸能人)は『落ちるのも早いですからー!残念っ!ジャン!←(ギターの音)』、こんな風に相手を「斬る」ワケです。

結局、「他人を名指しでコキおろして笑いをとっている」だけなので、何も学校で子供に聞かせなくてもいいのに。ってカンジがします。
まあ3年生にも理解できる程度の内容だから、小学生にはバカウケでしょうね。

今、「若手お笑い芸人」というのは、若い子たちに絶大な人気がありますから。
若い女の子たちにキャーキャー騒がれて、アイドル的な存在みたいです。
大学祭などにも欠かせない存在だし。「憧れ」の職業かもしれないですね。

「ギター侍」という芸人(?歌手かな?それとも歌の題名?)、有名人をネタにして最後に落とし込む歌が売れているらしい。わが家はニュースと子ども番組の時間しかTVがついていないので、ネット上で目にはしていたが実物は最近まで知らなかった。ジジババ宅で流れていた「笑点」で初めて実物を見た。夕食の支度をしていたので、ちら見。今となってはほとんど記憶にないけれど、ナンダコリャ、多分一発屋だろうなあ、笑点に出られてよかったね、という印象だった気がする。

先週タロウ三年生の担任が、教室でこの歌のCDをかけて聞かせてくれたそうだ。
どういう意図で聞かせてくれたんだろう。
何か子どものためになる部分があったんだろうか。こどもたちに意図を話して聞かせたのだろうか。そうかも知れないけれど、タロウ三年生に限って言えば、
「きょうね、こういうCDかけてきかせてくれたんだよー!」
単純に大喜びで、うろ覚えのまねっこが止まらない。
「(ギターを弾くマネをしながらウソ歌を歌い、最後に)でも、・・・・ですから〜!!」
ナンダソリャ。

せんせい、ギター侍ってなんですか?
うちの子には「オモシロカッタ」という部分しか伝わってないようですが、何か他に深い意味があったんでしょうか。

真冬だよ

2005年1月31日
昨日の日曜日、本来ならスキーに連れて行くはずだったのだが、あまりのブリザードで鬼母は運転に自信なく、ジジババや父親からも「やめておけ!」との厳命が。
タロウ三年生もさすがに諦めがついたようで、昼過ぎまでのんびりとテレビや勉強で時間を過ごした。

漢字の読み替えや熟語(その言葉の概念)は、どうすれば身に付くのだろうか。
「まま、○○って何?」
この○○の中には登山・登校・海外・作文・本文・利用・用いる・画家・絵画etcetc、何でも入れてください。そのくらい、もう日本語に不自由なのよ。レベル年長さん(よくて1年生)。

「読書で身に付く」
分かってるってば、そんなの。読書しない子供に向かって「本を読みなさい」って言うのは、これこそウマの耳に念仏。読書しないというのは、読書できないということで、本を読むための能力が何か欠けているってこと。

言葉を知らない

だから文章を読み解くのが大変

本を読む面白さよりも苦痛の方が大きい

だから本を読まない

言葉が身に付かない

・・・・・永遠の連鎖なのだなあ。父母ともにかなりの活字中毒でTVもほとんど見ない、ヒマがあれば新聞雑誌やPCにとりついて暮らしている姿を見ているのになあ。寝る前の読み聞かせも、2年生の始めくらいまで続けてたんだけどなあ。

学力低下問題

2005年1月25日
『論座』2月号  特集「溶解する日本1995-2005」


佐藤学の論文が分かりやすくて良かった。
学力低下論議によってこの5年間に起きたこととして、
1・受験産業の復活、再生  
2・家計における教育費の増大、階層間較差の拡大  
3・学校現場での復古的ドリル学習(百マス計算等)、習熟度別指導、少人数指導の普及  
4・学校間競争の組織化(学校選択制)
こうした状況において、最も深くあえいできたのは何と言っても教師たちである。80年代から続く教師バッシングに加え、この十年間、教師達の危機は、地方教育委員会による官僚的評価と保護者・市民による「サービス」の評価という二つの評価システムに引き裂かれるかたちで拡大した。この構図の中で、教師の専門性と自律性は弱められ空洞化している。
(略)
教職は公共的使命(ミッション)と責任において成立している職業であり、経済的報酬よりも精神的報酬によって支えられている職業である。教師の仕事は社会の尊敬と信頼と支援が得られなければつとまりようがない。

ニュースに時折登場するトンデモな先生(これは処罰対象)、ママ友だちとのおしゃべりでビックリさせられる密かにトンデモな先生(こちらは、あくまでウワサ)。
その一方で、デパートで「挨拶のしかた」の研修や予備校で授業の研修受けさせられたり、不審者対策だからといって催涙スプレーをクビからぶらさげて授業しなくちゃいけない普通の先生達(杉並区)が気の毒でならない。埼玉の小学校なんて、十年計画で全ての学校に副校長として民間企業の経営者を迎え入れることにしたという。

教育全般の劣化現象に対抗するには、教職の専門性の樹立しかないと佐藤は結論づけている。実務家ではなく、専門家を養成する教師教育を大学院レベルに格上げすることで、教育の質の向上を実現する新しいシステム作りが必要とのこと。

「史上もっとも授業時数が少ない子ども」である2002年度の新入学児タロウ三年生。
佐藤学の指摘通り、彼は問題集や学習雑誌を沢山持ち、鬼母のシゴキを受け、学校では少人数授業を受け、近隣小学校に対抗するため(?)に毎年コロコロ変わる「特色ある学校作り」に晒されております。

どうすりゃいいんだ。

週末お子様さーびす

2005年1月23日
金曜日・・・・
毎週金曜日は、スイミングの練習が休み。休養日です。というわけで、3時すぎに帰宅するとすぐに友だち二人が来襲、ビーダマンの対戦だのプレステだので5時半まで遊ぶ。
晩ご飯のあと、7時過ぎから父親と囲碁のネット対局(9路盤)。
というわけで、勉強時間はゼロ!
土曜日・・・・
朝9時前から学校の体育館に遊びに行く。帰宅は12時半。昼食のあと、イヤイヤながら20分だけ勉強。2時にスイミングに出発。
4時半すぎに帰宅、タッチアンドゴーでバスに乗って駅前へ。招待券を貰ったMr.インクレディブルがそろそろ終わってしまうので、焦って見に行く。映画の前に駅ビルで久々の外食、まるで映画デートである(食べたのはラーメンと餃子だけど)。タロウ三年生、スイミングの後なので腹ペコ!もの凄い勢いで食べる。映画は面白かった!終演後、またバスに乗って9時前に帰宅。映画は面白かった。鬼母も大満足。
日曜日・・・・
先週に引き続き、今日もまた朝からスキーに出撃(何せ30分で着くお手軽ファミリーゲレンデ。リフトはショボイのが三基、客のほとんどは小学生以下の家族づれだし、小学生のリフト一日券なんて千円だよ!)。
午前中はスクール(2時間で1500円)、午後は放し飼い。クラスメイト二人と遭遇し、男の子三人でつるんで滑っておりました。4時近くまでスキー、そのあとプラスチックのソリで遊んで5時過ぎに帰宅。鬼母は、ずーっとレストハウスで読書三昧。新聞を隅々まで読んでシアワセでした。
晩ご飯のあと、勉強を強制。「昨日は映画、今日はスキー。オマエのお楽しみにママはちゃんとつきあった。楽しんだのだから、自分の義務を果たせ!鉄腕ダッシュは録画して明日のお楽しみだ!」と鬼母大演説をかまし、7時から8時すぎまでやっとのことで勉強しました。

連れ出さずに放置すれば、ゲームとオモチャで一日が終わる。どちらにせよ進んで勉強なんてしないんだよね。

しっかりしなくちゃ

2005年1月18日
今日は気合いを入れて7時半から算数の復習をさせた。これまで出てきた単位の総まとめ。
冬休み中は漢字ばかりやっていたので、ちょっとネジをまき直さなければ、と思ったのですが。

・・・忘れてる上に応用が利かない。
キロという単位はメートルでもグラムでも千で繰り上がったものだという概念とか、ミリはその逆で千分の一だとか。
台計りの最小目盛りを考える問題なんて、数直線にすれば分かるのに円形になるとワカラナイ。
2年生の1学期に先生を泣かせ鬼母を激怒させた?と?の計算、今に至るも間違えているのには仰天しました。

今日のスイミングは、コーチの一人が休みだったため高学年と一緒のトレーニングで、本人曰く「死ぬかと思った」ほどハードだったらしい。5ストローク1ブレスで200メートル泳ぐ(クロール)とか、チビには過酷な練習だったみたい。カワイソウに・・・・
そのせいもあるのか、集中力に欠けて
600+800=1200
なんていう計算してくれちゃって、ああ、どうしましょう!

鬼母にとって、スポ少に入るくらいならスイミングの方がずーっとマシなんですが、体力をここまで使い果たして勉強にも差し支えるって、何か違わないか?
タロウ三年生が「目から鼻に抜ける」お利口少年なら、こんな心配しませんよぅ。そうじゃないから困る。何しろ、まだ心底「サンタさん」を信じているんです。
困ったなあ。

近況報告

2005年1月17日
日記というより月報状態。

冬休みは
・温水レジャープール二回(ちがう友だちと)
・友だちの家に泊まる(計3泊)
・友だちが泊まりに来る(1泊)
・映画「ゴジラ ファイナル」(父親と)
・床屋
・動物園(ズーラシア)に遠征するも休園日。水族館へ

そして冬休みが明けたというのに、昨日の日曜日は今シーズン最初のスキーに出撃。
12月の初めに買ったスキーを初めて履いて、午前はスキースクール、午後は勝手にリフトに乗って滑りまくっておりました。
ああ、ラクチンになったなあー。
母は運転手としてスキー場にお連れし、スクールの手続きをすることと昼飯を食わせることしか仕事がありません。
レストハウスでいっぱい本が読めてシアワセだよぅ。

冬休み

2004年12月25日
長々と日記をさぼってしまった。

この間にあったこと

・父親と海釣り2回→小魚をいっぱい釣ってきて鬼母困った。でも、料理して晩ご飯のオカズになりました。釣り餌や道具の値段を考えると、すっごく高い晩ご飯だった・・・・
・水泳の試合が2回。亀泳ぎでも最後まで泳ぎ切りました。子どもの試合というのは、たとえばピアノの発表会と同じで「はれがまし体験」なんだね。やる気をださせるというか、それを経験することによってはっきり成長する。本人の自信になる。練習がただの遊びではなくなるみたい。しかし、付き合う親はタイヘン・・・・あの待ち時間が耐えられないよぅ
・囲碁をおぼえた。ジジから習い、あっという間に鬼母と同じレベルになってしまった。9路盤の互い先で負け、鬼母は本気で悔しがっています。もう相手したくない。

さて今日から冬休み。
フルサトに戻り、友だちと遊び三昧の日々が始まる。

うーむ・・・・

2004年11月3日
子ども時代を楽しく過ごせれば、それでいいんだろうか。
子どもに強制するのは悪いことなんだろうか。
子どもそれぞれの個性があるとは言え、それを超えて子どもが自分の課題に真剣に取り組むという姿勢を、大人は強く求めてもいいのではないか。
しつけとか教育とかいう以前の問題だと思う。
自分がいる場所、そこでしなくてはならないこと、取り組まなくてはならないこと。それを自覚させるのが大人の努めではないか。

ただただ毎日が楽しく過ごせればいいと思っているらしいタロウ三年生を見ていると「シアワセなヤツだなあ」と嬉しく思う一方で、こんな無自覚なレベル1年生の9歳児はマズイだろうと激しく不満である。

父親にも母親にも似ていないトホホ平和主義者タロウ三年生。
どうすりゃいいんだ・・・・

やめればいいのに

2004年10月21日
スイミング。
「もうやめる」って、どうして言わないんだろう。
何が楽しくて25メートルプールを往復するんだろうか。

「機会費用」という言葉からすると、何か、とっても無駄なことをしている気がしてならないんですけど。
だって、リクツもヘチマもなく、ひたすら泳がされるだけなんだよ?
これだけの時間、週4回の放課後を別のことに使ったら、どんなに新しい体験ができることかしら。それを思うともったいなくて、もったいなくて!

週に4回、一回1時間半の練習で二千から三千メートルも泳いでいるんだけど、もうフォーム指導なんてほとんどなくて、ただただ泳いでるだけ(タロウ三年生の場合、バタフライは溺れながら進んでいる感じ)。ストレッチ等の「ドライ」もしないし。コーチはプールサイドから口頭で指導してます。

間違って上手な子ばかりのクラスに混じってしまったせいで、タロウ三年生のレベルとは違う練習させられてるんだよね。
あんなに泳がされたって、ちっともバタフライがうまくできないのはそのせい。
下のクラスに降ろしてもらえば、手取り足取りの指導が受けられる。だから今のクラスをやめようよ。
何度も提案しているのだが、タロウ三年生がウンと言わない。

スイミングは部活じゃなくて習い事。ならば「機会費用」という観点に基づいて評価しても罰は当たらない。
ママは理論に基づかないトレーニングや非効率なことが嫌いです。
これだけの時間をかけているのだから、それなりの効果がなくてはマズイと思う。
まだ溺れてるタロウ三年生がバタフライ百メートルを立て続けに4本とか泳がされているのを見て、時間と体力がもったいないなあと思う。
私は、この映画のモデルになった事件を記憶している。
あの事件をもとに是枝監督が映画を作りたくなった気持が何となく分かる。本当に衝撃的な事件だった。

やっと登校

2004年10月18日
木曜夜から病気になったタロウ三年生。
その後の状況がどうだったかと言うと

金曜・・・・
朝から38度。学校を休ませ、ただただポカリスエットだけを飲んで過ごす。寝たり起きたり、大量の汗。時々ハラが痛いと訴える。下痢も嘔吐もなし。パジャマを二度着替える。ほとんど何も食べず。小児用バファリン飲ませる
土曜・・・・
ほぼ平熱。しかし、ほとんど食べず。腹痛なさそう。便通あり、見た目は通常便。静かに布団の上でマンガ読んだりウトウトしたり。調子は良くないらしい。夕食、少し食べる。夜になって再び発熱。小児用バファリン
日曜・・・・
実は水泳の試合だったが、昨夜のうちに「棄権します」と連絡しておいた。これは正解だった。だって一日中、何度となく下痢だったんだもん!!下痢がうまく拭けなかったタロウ三年生のヤツ、トイレから「ままーー!!」と何度も呼んで下さった(アリガタイというか何というか・・・・)。ロタウィルスにかかった時みたいな、白っぽい水状ウンチ。ビオフェルミン飲ませる。平熱。
月曜・・・・
登校させる。「具合が悪くなったらすぐに先生か保健室に行きなさい、ママは電話が来るのを待ってるから」と言い含める。電話は来なかった。普通通りの帰宅。「給食も全部食べた!お腹も痛くならなかった!!」とのこと。友だちと遊ぶ約束をしたと言い、小銭を持って駄菓子屋に出撃。友だちを伴って帰宅、5時半までポケモンカードとやらで盛り上がって遊んだ。夕食は少なめだが食べた。
どうやら復調らしい。

コイツはごく赤ん坊の頃から、風邪はかならず腹に来る男なのよ。ドクターに見て頂いても貰える薬は抗生剤。抗生剤を飲むと更に腹が壊れるというのが経験則として分かってからは、その手の薬は捨てることにしている。つまり、医者に行くだけ無駄なのです。
今回は週末にかかったとこともあって、ドクターのお世話にはならず乗り切った感じです。

遊びすぎ

2004年10月14日
体育の日をはさんだ休日に遊びすぎたタロウ三年生、ついに壊れてしまいました。
ビョーキです。
変な顔色してるからスイミングを休ませたんですが、静かに遊んでいると思ったら畳の上で撃沈。晩飯も食わずに6時に就寝となりました。
そして、さっき触ったら「・・・・熱い!」。

あーあ、やられちゃったよ。

幼稚園の運動会

2004年10月11日
恒例の幼稚園運動会。
卒園児の種目というのがあって、それを目当てに沢山の仲間たちが集まる。
タロウ三年生もそれを目当てに(友だちと会えるから)参加するのだけれど、今年は何と雨のせいで「小学校の体育館」での開催となりました。
在園3年、卒園して3年、初めての出来事です。
でも、狭いせいか大変な盛り上がりでした。

楽しかったね、タロウ三年生!
こんな幼稚園時代を過ごせた君は幸せ者だとおもうよ。

台風直撃!

2004年10月9日
午後にタロウ三年生を迎えに行くはずが、台風が関東を直撃!
TVはずっと「△△線、○○線、■■線が運休」と言っていて、怖くてタロウ三年生のお迎えに行けない(連れ帰る電車が止まってしまったらどうしよう・・・・)。

というわけで、電話のやりとりがひとしきりあった後、今夜は競馬ブラザース宅の近所に住むドキンちゃん宅に泊めて貰うことになった。ゴメンね、ママ友だち!!
2ヶ月ぶりのフルサト。
競馬ブラザースの家にお泊まりさせてもらう。
最終的に男の子ばかり5人が集結し、競馬家のリビングは床が見えないほど散らかったのでした。
いつもいつもゴメンね、競馬ママ。
ISBN:4569637353 単行本 伊藤 比呂美 PHP研究所 2004/09/23 ¥1,313

本のコシマキ(上品に帯と言うべきか)子育ては、やり直しがきく。このごろ確信しました。

PHPから出版されていることにまず驚き。
そして伊藤比呂美、いつの間に夫を取り替えてたんだ?

陳腐な言葉だが「丸くなったなあー」、一読して思ったこと。
異文化の中でステップファミリーを構築するというしんどさは大変なものだろうに、『おなか ほっぺ おしり』『おなか ほっぺ おしり そしてふともも』等、初期の「子育て本」とは緊張感が全然ちがう。
伊藤比呂美の言葉のチカラって、巫女のような呪術的魅力があったものだが、この本からはあまりそういう匂いが感じられない。三人目の子育てって、つまりそういうことなんだろうか。

三人育てている友人たち、確かに肩の力を抜いて(悪く言えばほったらかしで)育てている。上の子の時は山のように撮った写真も下に行けばいくほど撮らず末っ子なんてアルバムさえないとか、明日が入学式なのに「さんすうセット」のお名前シールをまだ貼ってないとか、そんな話ばかり聞く。それでも、末っ子たちはグレもせずコボレもしないで元気にふてぶてしく育っている。

この著作は、これまでの「おなか ほっぺ おしり」等とは違う。詩人が人の親になり子どもという生き物と向き合って暮らす中で考えたこと、というスタンスではない。お姉ちゃんたち(サラ子・カノ子)が幼子だった時、彼女らと詩人の距離はどうしようもなく近かった。だからこそ伊藤比呂美は書かなくてはいけなかったのだろうと思う。しかしこの三女トメと詩人の距離はほどよく遠い。高齢出産かつ三女だから?母と異なる文化・言語の中で育っているから?詩人が「丸くなった」から?

カノ子ちゃんとサラ子ちゃんが大きくなって、元気にお姉ちゃんをやっているのが分かって良かった。

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