5月25日の日記
2004年5月25日磯野コンブさま(http://diarynote.jp/d/34236)の日記に、お疲れさまの用法についての話題があった。
朝日のコラムを読んで、私は「こんなことを言うオヤジがいるうちは日本語は大丈夫かな?」とか気楽に考えていたんですが・・・・ちゃんと考えなくちゃダメだよね、やっぱり。
私個人は、「お疲れさま」「ご苦労さま」という言葉、目上の人には使わないなあ。大体は「ありがとうございます」でごまかしてます。
たとえば謙譲表現が必要な相手=担任の先生・スイミングのコーチとかには言わないだろう。仕事をしていた頃、上司にも言わなかったと思う。
たとえば帰る時には、私が「お先に失礼しまーす」と挨拶し、上司が「お疲れさま(ご苦労さま)でした」と答えてくれたような気がする。
随分前、合い言葉は「お・あ・し・す」というのが流行った。「ほうれんそう=報告・連絡・相談」というのと同じような、新人社員に叩き込む言葉。
「お」恐れ入ります、「あ」ありがとうございます、「し」失礼しました、「す」スミマセンでした。あの中には確かにお疲れ様でしたという表現は入ってなかった・・・
「お疲れさま」、私は立場が同じ相手には普通に使っています。たとえばPTAとかボランティアとか生協とかのママ仲間同士では、「やっと終わったね」「帰ろうか」「うん、ご苦労さま(お疲れさま)でしたー」なんて。お互い大変だったよね、という気持を込めて。一緒に何かやった相手にはすんなり言えるような気がします。
尊敬語・謙譲語等々、日本語って本当に難しい。
鬼母は昔人間なので、色々と耳障りな「新しい日本語」があります。
私の場合は、特にイントネーション(アクセント)関係で、うーむと感じる。
しばらく前、「彼氏=カレシ」のイントネーションが違う娘に、正しいいい方を強要するオヤジのCMがありましたが、あのオヤジ同様の違和感がしょっちゅう。たとえば「ドラマ」。私は「ド」にアクセントをつけずに平板に発音する今風のいい方に慣れることができません。
しかし、「オヤジ」を平板に言う私。実は「オヤジ」の発音も「オ」にアクセントがあるのが正しいんですって。「カレシ」「ドラマ」「オヤジ」。実はどれも同じアクセントだそうです。
でも現在、アクセント事典みたいなのには「オヤジ」について「どちらでも良い」ということになってるらしい。時代には逆らえないんだな、やっぱり。
川村二郎氏がいかに正しい用法と違和感を主張しようとも、日本語は時代と共に変わっていくしかないのだと思います。
なにせ、その昔は「秋葉原」は「秋葉原」だったと言うし、「い」と「ゐ」の発音は違っていたと言うし。
ナンデモアリ!
・・・って、これじゃダメかしら。
朝日のコラムを読んで、私は「こんなことを言うオヤジがいるうちは日本語は大丈夫かな?」とか気楽に考えていたんですが・・・・ちゃんと考えなくちゃダメだよね、やっぱり。
私個人は、「お疲れさま」「ご苦労さま」という言葉、目上の人には使わないなあ。大体は「ありがとうございます」でごまかしてます。
たとえば謙譲表現が必要な相手=担任の先生・スイミングのコーチとかには言わないだろう。仕事をしていた頃、上司にも言わなかったと思う。
たとえば帰る時には、私が「お先に失礼しまーす」と挨拶し、上司が「お疲れさま(ご苦労さま)でした」と答えてくれたような気がする。
随分前、合い言葉は「お・あ・し・す」というのが流行った。「ほうれんそう=報告・連絡・相談」というのと同じような、新人社員に叩き込む言葉。
「お」恐れ入ります、「あ」ありがとうございます、「し」失礼しました、「す」スミマセンでした。あの中には確かにお疲れ様でしたという表現は入ってなかった・・・
「お疲れさま」、私は立場が同じ相手には普通に使っています。たとえばPTAとかボランティアとか生協とかのママ仲間同士では、「やっと終わったね」「帰ろうか」「うん、ご苦労さま(お疲れさま)でしたー」なんて。お互い大変だったよね、という気持を込めて。一緒に何かやった相手にはすんなり言えるような気がします。
尊敬語・謙譲語等々、日本語って本当に難しい。
鬼母は昔人間なので、色々と耳障りな「新しい日本語」があります。
私の場合は、特にイントネーション(アクセント)関係で、うーむと感じる。
しばらく前、「彼氏=カレシ」のイントネーションが違う娘に、正しいいい方を強要するオヤジのCMがありましたが、あのオヤジ同様の違和感がしょっちゅう。たとえば「ドラマ」。私は「ド」にアクセントをつけずに平板に発音する今風のいい方に慣れることができません。
しかし、「オヤジ」を平板に言う私。実は「オヤジ」の発音も「オ」にアクセントがあるのが正しいんですって。「カレシ」「ドラマ」「オヤジ」。実はどれも同じアクセントだそうです。
でも現在、アクセント事典みたいなのには「オヤジ」について「どちらでも良い」ということになってるらしい。時代には逆らえないんだな、やっぱり。
川村二郎氏がいかに正しい用法と違和感を主張しようとも、日本語は時代と共に変わっていくしかないのだと思います。
なにせ、その昔は「秋葉原」は「秋葉原」だったと言うし、「い」と「ゐ」の発音は違っていたと言うし。
ナンデモアリ!
・・・って、これじゃダメかしら。
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