こどもの「自己責任」だあ?
2004年7月15日プンプン!
今日はPTA授業参観と懇談会がありました。
数日来の曇り空で涼しいのに、なぜか水泳の授業。しかも担任ではなく、外部から来たプロのコーチが指導。担任二人はこども達と一緒にご指導を受けるような感じ。外部コーチを招聘するのは悪いことじゃないと思うけど、これをなぜ授業参観で見せるのか?学級の仲間や担任との関係・雰囲気がまるで見えないじゃないか。親はそれが見たくて参観に来るのだろうに。ワケワカラン。
実質30分の水泳が終わって、着替えて帰りの会をやって、こども達は放課となりました。
懇談会。
夏休み前の懇談会ということで、当たり障りなく4月からこれまでの学級集団や学習進度などの様子が話されました。
その中で、担任の先生が何の気なしに「自己責任」という言葉を使われたのが気になりました。
というよりも
「・・・ハァ?・・」
学年主任が言われていることをなぞって話されたのだと思います。
学年主任も含めて、自分の立場(公教育の担任)として、その言葉を保護者に向かって発する事への、それこそ「自己責任」をどれほど深く考えているのだろう。
やたらに「自己責任」が求められる今の日本の状況が正義かどうかというご自身の価値観、教育・子どもの育ちという場面で「自己責任」はどのように位置づけられるのか。
私は、教育とは哲学であると思っています。
一日中雑事に追われ汗だくで子どもと関わる現場で哲学なんて、と思われるかもしれない。
しかしですね、教育における哲学というのは別に難しい文字の世界ではなくて、しっかりした教育理念・子ども観・集団教育観を持つか持たないかということです。
たとえ冗談にせよ、公教育の場面で保護者に向かって「子どもの自己責任」なんて口にしてしまったこと、これは恥ずかしい。だけど、多分この小学校では管理職なんかもこういう言葉を普通に使ってんだろうなあ。だから、何気なく出て来たんだと思う。
ああ、「バカの壁」だよ・・・・
タロウ三年生が通っていた幼稚園には、哲学がありました。そのゆるぎない理念を全職員が共通理解し、非常に質の高い保育をして下さった。理論武装された保育方針なんて感じではなく、日々の保育はかなり行き当たりばったりだったし、職員の能力にも凸凹があったのは事実です。でも「●●幼稚園はこのように子どもの育ちを捉え、保育をしていきます」という理念に揺るぎはなかった気がするし、あの幼稚園の持つ哲学はホンモノでした。
哲学なきところでの教育技術のむなしさ(=法則化運動がどれほどバカにされていることか)。
自分の理念や哲学をどのように実践に結びつけていくかが教員のやりがいだと思うのだけれど、現実の教育行政はそれを許さない。
若い担任がガチガチの管理や「バカの壁」に取り込まれず、自身の子供観を確立していくのは困難なのだろうなあー。
今日は悲観的。
どうすりゃいいんだ。
今日はPTA授業参観と懇談会がありました。
数日来の曇り空で涼しいのに、なぜか水泳の授業。しかも担任ではなく、外部から来たプロのコーチが指導。担任二人はこども達と一緒にご指導を受けるような感じ。外部コーチを招聘するのは悪いことじゃないと思うけど、これをなぜ授業参観で見せるのか?学級の仲間や担任との関係・雰囲気がまるで見えないじゃないか。親はそれが見たくて参観に来るのだろうに。ワケワカラン。
実質30分の水泳が終わって、着替えて帰りの会をやって、こども達は放課となりました。
懇談会。
夏休み前の懇談会ということで、当たり障りなく4月からこれまでの学級集団や学習進度などの様子が話されました。
その中で、担任の先生が何の気なしに「自己責任」という言葉を使われたのが気になりました。
というよりも
「・・・ハァ?・・」
学年主任が言われていることをなぞって話されたのだと思います。
学年主任も含めて、自分の立場(公教育の担任)として、その言葉を保護者に向かって発する事への、それこそ「自己責任」をどれほど深く考えているのだろう。
やたらに「自己責任」が求められる今の日本の状況が正義かどうかというご自身の価値観、教育・子どもの育ちという場面で「自己責任」はどのように位置づけられるのか。
私は、教育とは哲学であると思っています。
一日中雑事に追われ汗だくで子どもと関わる現場で哲学なんて、と思われるかもしれない。
しかしですね、教育における哲学というのは別に難しい文字の世界ではなくて、しっかりした教育理念・子ども観・集団教育観を持つか持たないかということです。
たとえ冗談にせよ、公教育の場面で保護者に向かって「子どもの自己責任」なんて口にしてしまったこと、これは恥ずかしい。だけど、多分この小学校では管理職なんかもこういう言葉を普通に使ってんだろうなあ。だから、何気なく出て来たんだと思う。
ああ、「バカの壁」だよ・・・・
タロウ三年生が通っていた幼稚園には、哲学がありました。そのゆるぎない理念を全職員が共通理解し、非常に質の高い保育をして下さった。理論武装された保育方針なんて感じではなく、日々の保育はかなり行き当たりばったりだったし、職員の能力にも凸凹があったのは事実です。でも「●●幼稚園はこのように子どもの育ちを捉え、保育をしていきます」という理念に揺るぎはなかった気がするし、あの幼稚園の持つ哲学はホンモノでした。
哲学なきところでの教育技術のむなしさ(=法則化運動がどれほどバカにされていることか)。
自分の理念や哲学をどのように実践に結びつけていくかが教員のやりがいだと思うのだけれど、現実の教育行政はそれを許さない。
若い担任がガチガチの管理や「バカの壁」に取り込まれず、自身の子供観を確立していくのは困難なのだろうなあー。
今日は悲観的。
どうすりゃいいんだ。
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