タロウ二年生の日記から 【3】
2003年7月27日きょうのあさおきてテレビを見ました。
テレビは楽しかったです。
あさごはんを食べおわったらべんきょうをしました。
外でいっぱいあそびました。
でん車でかえりました。
テレビは楽しかったです。
あさごはんを食べおわったらべんきょうをしました。
外でいっぱいあそびました。
でん車でかえりました。
タロウ二年生の日記から 【2】
2003年7月26日きょうも、△△くんのおうちにとまりました。
よる、ねるとき、おこられてしまいました。なぜかというと、おふとんの上でボールであそんでいたからです。
よる、ねるとき、おこられてしまいました。なぜかというと、おふとんの上でボールであそんでいたからです。
ママ友だちからのメール
2003年7月25日どこんちも同じだなあ、と安心させていただきました。
競馬ママ、兄弟を機嫌良く健やかに育てているように見えて、苦労してるんだね・・・(ああ、ホントに気持はよくわかるよ!)
>夏休みの「自宅学習」に悩める母です。
>ちなみに今朝はこんなカンジ。
>兄は「夏休みの目標 毎日 漢字20文字を書く」を嫌がって
>あまりにも汚くいいかげんに書く態度の悪さ。
>見てたら腹がたって 朝っぱらから 母は激怒。(自分で決めた目標くらいちゃんとヤレ!)
>「付録がない通信講座」がウリの「一分のイチ」をやっていたのは兄が1年生の夏休みでした。
>今、兄は
>「挑戦3年生は 二度と注文しないで!」と言うので 先月やめました・・・。
>弟の方は足し算カードは(母にせっつかれて)なんとか毎日やっているものの
>今朝も 9−2 だの 8−6 だのの 引き算カードが(タイムを計っているせいで)
>あせればあせるほど わからず、しまいには逆ギレ。
>カードを放りなげて「もうやらないっ!!」
>「家庭学習」をやってほしいのですが、子どもが嫌がるので
>見てると ホメるどころか 「やりなさい!」と怒鳴ってしまいます。
>どうやれば 親子ともども 気持ちよく 毎日の家庭学習ができるでしょうか・・・
>タメ息・・・・
ああ、ワタクシも日々ため息ばかりです。
鬼母に叱られてばかりいるタロウ一年生の寝顔を見ながら、毎晩反省。そして、翌朝も怒鳴りまくり。
どーしたらいいんだろうね、競馬ママ。教えてくださーーい!(懇願)
競馬ママ、兄弟を機嫌良く健やかに育てているように見えて、苦労してるんだね・・・(ああ、ホントに気持はよくわかるよ!)
>夏休みの「自宅学習」に悩める母です。
>ちなみに今朝はこんなカンジ。
>兄は「夏休みの目標 毎日 漢字20文字を書く」を嫌がって
>あまりにも汚くいいかげんに書く態度の悪さ。
>見てたら腹がたって 朝っぱらから 母は激怒。(自分で決めた目標くらいちゃんとヤレ!)
>「付録がない通信講座」がウリの「一分のイチ」をやっていたのは兄が1年生の夏休みでした。
>今、兄は
>「挑戦3年生は 二度と注文しないで!」と言うので 先月やめました・・・。
>弟の方は足し算カードは(母にせっつかれて)なんとか毎日やっているものの
>今朝も 9−2 だの 8−6 だのの 引き算カードが(タイムを計っているせいで)
>あせればあせるほど わからず、しまいには逆ギレ。
>カードを放りなげて「もうやらないっ!!」
>「家庭学習」をやってほしいのですが、子どもが嫌がるので
>見てると ホメるどころか 「やりなさい!」と怒鳴ってしまいます。
>どうやれば 親子ともども 気持ちよく 毎日の家庭学習ができるでしょうか・・・
>タメ息・・・・
ああ、ワタクシも日々ため息ばかりです。
鬼母に叱られてばかりいるタロウ一年生の寝顔を見ながら、毎晩反省。そして、翌朝も怒鳴りまくり。
どーしたらいいんだろうね、競馬ママ。教えてくださーーい!(懇願)
個人面談
2003年7月24日本日、タロウ二年生の個人面談に行ってまいりました。
担任の先生、鬼母の履歴をどっかからお聞き及びらしく、クラスの状況についてかなり「ぶっちゃけ」た感じにお話ししてくださいました。
とりあえずタロウ二年生に関しては「幼い」「4時間目になると腹が空いてへばり、頭が痛いなんて言う」「恐がりで痛がり」等々、トホホ状態へのご注意を色々いただきました。もう、その通りでございます、家でも思いっきりシメますから、学校でもどんどんシメてください先生!とお願いしました。
で、タロウ二年生の学年のことを色々。
「もう、ここまでスゴイのは、なかなか珍しいかも・・・」。
一般的に言われているが、年々こどもたちが幼くなっている。理性云々以前に、言葉が通じないようなのも出現している。ガマンができない、すぐにイヤになって投げ出す、状況を考えずに騒ぐ。幼児のようだ。
実体験が決定的に不足している。お金を使ったことがないせいか、1円玉10コが10円玉1コと同じ、という感覚がない。以前のこどもたちは、お金にたとえると大概のことは分かったが、今やそれが通用しない。
こういうことは、学校でどうにかできることではない。学校以前の問題。幼児教育は大事だと痛感する。こどもたちそれぞれが、どのような幼稚園時代をすごしたかを知ることが、いま小学校に求められているのだと思う。
こういう子どもに育てている若い親たちを教育したのは、自分たちのような世代の教員であることを思うと、責任を感じる。
タロウ二年生の学年は、このように言われている今のこどもたちの平均より更に幼く、1年生の時に騒いでいたのが効いているのか、学力・学ぶ能力ともに低い。
物差しの単元でこんなに苦労したのは教員になって初めてだ。
教室でいつも騒いでいる数人は、結局、勉強が分からないこどもたち。分からないからつまらなくて騒ぐ。さらに分からなくなる。そういう悪循環。
非常に低いハードルなのに、それがクリアできない。繰り上がりの概念が脊髄反射になっていない子どもも少なくない。たとえば
7+9=
15-6=
2年生の夏だというのに、これができない。しばらく考えて指を折ったりしないと答えが出せない。
この人たちにこれから「九九」を教えることを思うとメマイがする。校長は「ヘルパーとしてママたちに教室に来て貰ったらどうか」と言っている。
鬼母が「九九は、家で練習して来て学校で先生にみてもらう、というのが昔のパターンでしたよね」と言ったら「・・・それが通用しなくなってきてるんですよ。それが出来たら苦労しないんです」とのこと。
・・・つまり、やっぱり「家庭」なのだなあ。
なんか、先生のお話を聞いて、どーっと疲れてしまった。
先生がお気の毒でしょうがない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
先生の「状況説明」をうかがって、さっきオットと話し合ったことなど。
先生のお話をオットに伝えたところ、「あと10年もしないうちに、そういうのが高校に来るんだなあ・・・・大丈夫かなあ、10年後、そんなの相手に体が持つかなあ・・・」。
で、いつもと同じような結論に至る。
「大人が、確信を持って子どもに迫る、というのを放棄しているのだなあ」
おかたづけ、お手伝い、宿題、勉強、身辺自立etc etc・・・
どれも子どもにとっては面倒くさくってやりたくないことばかり。
ヤツラは、好きなだけテレビを見たい、おもちゃで遊び続けたい、ゲームやりたい、夜更かししたい、親の言うことは聞きたくない、お菓子とジュースだけ食べたい、オモチャは際限なく欲しい。
子どもにとってはアタリマエの「欲望」を、大人がどれほどの力で「ダメ」と拒絶できるか。
所詮、教育というのは歴史的に作られてきた価値観の「おしつけ」です。
そういう覚悟なしで、子どもをしつけられるはずがない。
子どもにおしつけるからには、こちらも身を律しなくては子どもに迫れないわけで、ゲームをさせたくないのならば親もするべきではないし、テレビの時間を制限するのであれば、テレビを垂れ流しで見る暮らしに親もサヨナラするほかない。
「子どもに迫る」「許さない・甘やかさない」というのは、本当に手間暇がかかって、くたびれる。抑圧的に子どもに迫る一方で、一生懸命に可愛がってやれるのも親だからこそ。
最終的に一人で食べていけるように職業を見つけ、仲間を作り、人生のパートナーをゲットできるオトナに育てるのは、やっぱり親しかいないんだなあ・・・・
もはや社会も学校も、そういうことまでしてはくれません。親がそれぞれの家庭の中でがんばるしかないのだと思う。
今の社会が親に求める「自己責任」の重さ、私たち夫婦は、本当に怖いと感じています。
「子どもには無理と思える課題を設定しても、こどもたちって、最後には何とかそこまでよじ登ってくる。ここまで上っておいで、って言うことを恐れてはいけない」
今日の面談でうかがった先生の言葉の中でも、それが一番、心に残ったし同感できました。
担任の先生、鬼母の履歴をどっかからお聞き及びらしく、クラスの状況についてかなり「ぶっちゃけ」た感じにお話ししてくださいました。
とりあえずタロウ二年生に関しては「幼い」「4時間目になると腹が空いてへばり、頭が痛いなんて言う」「恐がりで痛がり」等々、トホホ状態へのご注意を色々いただきました。もう、その通りでございます、家でも思いっきりシメますから、学校でもどんどんシメてください先生!とお願いしました。
で、タロウ二年生の学年のことを色々。
「もう、ここまでスゴイのは、なかなか珍しいかも・・・」。
一般的に言われているが、年々こどもたちが幼くなっている。理性云々以前に、言葉が通じないようなのも出現している。ガマンができない、すぐにイヤになって投げ出す、状況を考えずに騒ぐ。幼児のようだ。
実体験が決定的に不足している。お金を使ったことがないせいか、1円玉10コが10円玉1コと同じ、という感覚がない。以前のこどもたちは、お金にたとえると大概のことは分かったが、今やそれが通用しない。
こういうことは、学校でどうにかできることではない。学校以前の問題。幼児教育は大事だと痛感する。こどもたちそれぞれが、どのような幼稚園時代をすごしたかを知ることが、いま小学校に求められているのだと思う。
こういう子どもに育てている若い親たちを教育したのは、自分たちのような世代の教員であることを思うと、責任を感じる。
タロウ二年生の学年は、このように言われている今のこどもたちの平均より更に幼く、1年生の時に騒いでいたのが効いているのか、学力・学ぶ能力ともに低い。
物差しの単元でこんなに苦労したのは教員になって初めてだ。
教室でいつも騒いでいる数人は、結局、勉強が分からないこどもたち。分からないからつまらなくて騒ぐ。さらに分からなくなる。そういう悪循環。
非常に低いハードルなのに、それがクリアできない。繰り上がりの概念が脊髄反射になっていない子どもも少なくない。たとえば
7+9=
15-6=
2年生の夏だというのに、これができない。しばらく考えて指を折ったりしないと答えが出せない。
この人たちにこれから「九九」を教えることを思うとメマイがする。校長は「ヘルパーとしてママたちに教室に来て貰ったらどうか」と言っている。
鬼母が「九九は、家で練習して来て学校で先生にみてもらう、というのが昔のパターンでしたよね」と言ったら「・・・それが通用しなくなってきてるんですよ。それが出来たら苦労しないんです」とのこと。
・・・つまり、やっぱり「家庭」なのだなあ。
なんか、先生のお話を聞いて、どーっと疲れてしまった。
先生がお気の毒でしょうがない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
先生の「状況説明」をうかがって、さっきオットと話し合ったことなど。
先生のお話をオットに伝えたところ、「あと10年もしないうちに、そういうのが高校に来るんだなあ・・・・大丈夫かなあ、10年後、そんなの相手に体が持つかなあ・・・」。
で、いつもと同じような結論に至る。
「大人が、確信を持って子どもに迫る、というのを放棄しているのだなあ」
おかたづけ、お手伝い、宿題、勉強、身辺自立etc etc・・・
どれも子どもにとっては面倒くさくってやりたくないことばかり。
ヤツラは、好きなだけテレビを見たい、おもちゃで遊び続けたい、ゲームやりたい、夜更かししたい、親の言うことは聞きたくない、お菓子とジュースだけ食べたい、オモチャは際限なく欲しい。
子どもにとってはアタリマエの「欲望」を、大人がどれほどの力で「ダメ」と拒絶できるか。
所詮、教育というのは歴史的に作られてきた価値観の「おしつけ」です。
そういう覚悟なしで、子どもをしつけられるはずがない。
子どもにおしつけるからには、こちらも身を律しなくては子どもに迫れないわけで、ゲームをさせたくないのならば親もするべきではないし、テレビの時間を制限するのであれば、テレビを垂れ流しで見る暮らしに親もサヨナラするほかない。
「子どもに迫る」「許さない・甘やかさない」というのは、本当に手間暇がかかって、くたびれる。抑圧的に子どもに迫る一方で、一生懸命に可愛がってやれるのも親だからこそ。
最終的に一人で食べていけるように職業を見つけ、仲間を作り、人生のパートナーをゲットできるオトナに育てるのは、やっぱり親しかいないんだなあ・・・・
もはや社会も学校も、そういうことまでしてはくれません。親がそれぞれの家庭の中でがんばるしかないのだと思う。
今の社会が親に求める「自己責任」の重さ、私たち夫婦は、本当に怖いと感じています。
「子どもには無理と思える課題を設定しても、こどもたちって、最後には何とかそこまでよじ登ってくる。ここまで上っておいで、って言うことを恐れてはいけない」
今日の面談でうかがった先生の言葉の中でも、それが一番、心に残ったし同感できました。
タロウ二年生の日記から
2003年7月23日きょうは、学校のグランドでラジオたいそうをやりました。
ぼくは、おなかがすいてへろへろになってやりました。
ゆうぐで○○くんといっしょにぶらんこであそびました。
ぼくは、おなかがすいてへろへろになってやりました。
ゆうぐで○○くんといっしょにぶらんこであそびました。
校外学習の付き添い
2003年7月11日先日、タロウ二年生の学年の「生活科校外学習・町たんけん」があって、付き添いに行きました。
数人のグループごとに自分たちが行きたい場所(学区内)を決めて、そこに行って何をしたいか「めあて」も決める。
担任は二人しかいない。すべてのグループにオトナが付き添うため、相当数のママたちが動員されました。
「たんけん場所」と「めあて」は
・学区内のお寺→お寺の中や庭をたんけんする、和尚さんのお話を聞く
・学区内にかかっている橋→橋の名前を調べる
・同級生のお家→庭にどんなものがあるかたんけんする
・学区内の公園→いっぱいあそぶ
・学区内の川→魚や鳥をみつける、エサをあげる
・学区内の幼稚園→小さい子と遊んであげる
などでした。
そしてですね、タロウ二年生は「公園に行っていっぱい遊ぶ」グループでございました(涙)。
これのどこが「生活科の校外学習」でありましょうか!おまけに、そのグループったら、タロウ二年生以外は全部女の子。こいつ、真剣にオカマ道まっしぐらなのかーー???
「自分たちで決める」って大事なことだけどさあ、どこに行くか何をするか決めること自体が、すでに個々の能力に左右されるんだよね。
「公園でいっぱい遊ぶ」グループは、「お寺で和尚さんのお話を聞く」グループに比べると、生活体験という点でいきなり差が開いてしまった。
本人たちは、満足だと思う。
自分たちで「安全に歩ける道」を考えて、グループで行動する。すごくいい課題だと思うし、やりとげた満足感も大きいでしょう。
個々の興味関心に従って自主的に学習するというのは確かに素晴らしいけど、授業時間2時間つぶして「公園でいっぱい遊ぶ」、それってどうよ!
これもまた「個性尊重」「自己責任」なのでありましょうか?
ここでもまた、「レベル年中さん」が証明されてしまったタロウ二年生でございました。
「科学」と「学習」
2003年7月10日タロウ二年生の父親のノスタルジーのせいで、ついに今月からわが家に「科学」と「学習」が届くようになってしまいました!
鬼母は、とっても迷惑です。
あの付録の数々・・・・・数ヶ月後にはゴミ同然なのに、それを捨てさせないタロウ二年生とのバトルを思うと、激しく憂鬱。
父親は昔のコドモなので娯楽の少なかったあの頃、毎月「科学」が届くのを指折り数えて待っていたんだそうです。暗記するほど読みふけり、付録を組み立てたり実験したり。
そのワクワク感を息子にも味あわせたい。
・・・ってさあ、タロウ二年生は、今のコドモなんだよ。
毎日宿題があるし、スイミングだのの習い事はあるし、テレビゲームもしたいし、マウンテンバイクで遊びたいし、ビデオも見たい。
時間がいくらあっても足りないくらいの娯楽に囲まれているんだよね。
我々がコドモだった時代とは、もう隔絶されています。
父親のノスタルジーで定期購読することにはなったけれど、タロウ二年生、予想通り「買って貰えて嬉しいけど、別にすごく大事ってほどじゃない」という雰囲気。
チクショー、安くないんだぞーーー(怒)!!!
少し話はずれるけれど、今、本も雑誌も売れない。民放テレビドラマの視聴率も、何をやっても今や20%なんて取れないらしい。15%あれば合格なんだって。
その理由は、読書と民放テレビドラマだけが在宅の娯楽じゃなくなったからだよ!BSはあるしCSはあるしインターネットはあるし、大の大人もテレビゲームにはまってるし。
そういうことなんだろうね。
「科学」も「学習」も、発行部数はずーっと下がりっぱなしと想像できる。少子化の大波と、通信環境の激変。
こんな中で、「昔者」の親は子どもをどう育てていったらいいんでしょうか。
困るなあ・・・・
鬼母は、とっても迷惑です。
あの付録の数々・・・・・数ヶ月後にはゴミ同然なのに、それを捨てさせないタロウ二年生とのバトルを思うと、激しく憂鬱。
父親は昔のコドモなので娯楽の少なかったあの頃、毎月「科学」が届くのを指折り数えて待っていたんだそうです。暗記するほど読みふけり、付録を組み立てたり実験したり。
そのワクワク感を息子にも味あわせたい。
・・・ってさあ、タロウ二年生は、今のコドモなんだよ。
毎日宿題があるし、スイミングだのの習い事はあるし、テレビゲームもしたいし、マウンテンバイクで遊びたいし、ビデオも見たい。
時間がいくらあっても足りないくらいの娯楽に囲まれているんだよね。
我々がコドモだった時代とは、もう隔絶されています。
父親のノスタルジーで定期購読することにはなったけれど、タロウ二年生、予想通り「買って貰えて嬉しいけど、別にすごく大事ってほどじゃない」という雰囲気。
チクショー、安くないんだぞーーー(怒)!!!
少し話はずれるけれど、今、本も雑誌も売れない。民放テレビドラマの視聴率も、何をやっても今や20%なんて取れないらしい。15%あれば合格なんだって。
その理由は、読書と民放テレビドラマだけが在宅の娯楽じゃなくなったからだよ!BSはあるしCSはあるしインターネットはあるし、大の大人もテレビゲームにはまってるし。
そういうことなんだろうね。
「科学」も「学習」も、発行部数はずーっと下がりっぱなしと想像できる。少子化の大波と、通信環境の激変。
こんな中で、「昔者」の親は子どもをどう育てていったらいいんでしょうか。
困るなあ・・・・
タロウ二年生の日記から 【7がつ6か】
2003年7月7日きょう、晴れていたから、ママとパパとぼくで自てん車にのってサイクリングロードにいきました。
きょうは、へびには会いませんでした。
こないだよりとおくまでいきました。ざぶーんのかんばんがあるはしのところまでいきました。
パパとママの自てん車は、ギアがないから、山のほうは、いきませんでした。そこでユーターンしてかえってくるとちゅう、かもしかに会いました。
ぼくは、かもしかを見たことがないから、さいしょ、うまだと思いました。ママが
「かもしかだあ」
と大声で言いました。それでぼくは、びっくりしました。
かもしかは、にげないでぼくたちをじっと見ていました。かもしかは、見ながらゆっくり森に入っていきました。
とってもきゅうなさかなのに、かもしかは楽楽とスキップをしているみたいにのぼっていきました。
かもしかの色は黄土色で、つのは小さかったです。
どろがいっぱいなところもあって、ころびそうになりました。でも大じょうぶでした。
それなのに、ようふくのせなかがどろだらけになりました。
晴れていて本当によかったです。
サイクリングロードに、今も心ではまた百回いきたいです。
今どは、山の上にいきたいです。
きょうは、へびには会いませんでした。
こないだよりとおくまでいきました。ざぶーんのかんばんがあるはしのところまでいきました。
パパとママの自てん車は、ギアがないから、山のほうは、いきませんでした。そこでユーターンしてかえってくるとちゅう、かもしかに会いました。
ぼくは、かもしかを見たことがないから、さいしょ、うまだと思いました。ママが
「かもしかだあ」
と大声で言いました。それでぼくは、びっくりしました。
かもしかは、にげないでぼくたちをじっと見ていました。かもしかは、見ながらゆっくり森に入っていきました。
とってもきゅうなさかなのに、かもしかは楽楽とスキップをしているみたいにのぼっていきました。
かもしかの色は黄土色で、つのは小さかったです。
どろがいっぱいなところもあって、ころびそうになりました。でも大じょうぶでした。
それなのに、ようふくのせなかがどろだらけになりました。
晴れていて本当によかったです。
サイクリングロードに、今も心ではまた百回いきたいです。
今どは、山の上にいきたいです。
書写
2003年7月6日ああ、申し込まなきゃよかった、硬筆展。
タロウ二年生の学校では、市内の小学校硬筆展が自由参加です。
1年生の時、訳が分からないまま申し込んで参加させました。
10日間くらい毎日家で1枚ずつ練習して、とある日の放課後行われる本番に備える。で、二学期のアタマに「賞状」が貰えるという仕組みです。この「賞状」、参加者みんなにくれるらしい。ミミズのたくり文字でも、とにかく「敢闘賞」とかくれるんだよね。ありがたい、ありがたい。
どんなチャチなものでも、賞状って子どもの励みになるんだよね。イ○マンの級合格の賞状だって、何だか誇らしげだったもん。
というわけで今年も申し込んだ硬筆展。
・・・・タイヘン(涙)
算数の理解が遅い、漢字が憶えられない、文章の読解力がヒドイとか、そういうのとはまた違った「・・・・ダメだ、こりゃ」って感じです。
虐めず何とか最後までやりとげさせたいと思う一方で、「これって、ウサギに空を飛べと命令してるのと同じじゃん?」という気持になってしまいました。
どうすりゃいいんだろう。
6歳のタロウ二年生にエンピツの持ち方を教えて文字を書くことの導入をしてくださったK先生、ごめんよーーー(涙)
タロウ二年生の学校では、市内の小学校硬筆展が自由参加です。
1年生の時、訳が分からないまま申し込んで参加させました。
10日間くらい毎日家で1枚ずつ練習して、とある日の放課後行われる本番に備える。で、二学期のアタマに「賞状」が貰えるという仕組みです。この「賞状」、参加者みんなにくれるらしい。ミミズのたくり文字でも、とにかく「敢闘賞」とかくれるんだよね。ありがたい、ありがたい。
どんなチャチなものでも、賞状って子どもの励みになるんだよね。イ○マンの級合格の賞状だって、何だか誇らしげだったもん。
というわけで今年も申し込んだ硬筆展。
・・・・タイヘン(涙)
算数の理解が遅い、漢字が憶えられない、文章の読解力がヒドイとか、そういうのとはまた違った「・・・・ダメだ、こりゃ」って感じです。
虐めず何とか最後までやりとげさせたいと思う一方で、「これって、ウサギに空を飛べと命令してるのと同じじゃん?」という気持になってしまいました。
どうすりゃいいんだろう。
6歳のタロウ二年生にエンピツの持ち方を教えて文字を書くことの導入をしてくださったK先生、ごめんよーーー(涙)
新学習指導要領・・・算数(2年生)
2003年7月1日・リットルとデシリットル、その加減法がいきなり登場
→これだけが単独なんだよね。次に続くものがない。体積(立方センチメートル=ミリリットル)に繋げるなら分かるが。体積なんて、5年生以降まで登場しないみたい。忘れちゃうに決まってるよねえ
・?、?の加減法もいきなり登場=竹の物差しの使用
→直線をはかったり書いたりさせるのに、そのくせ「定規」という、もっと使いやすいモノは使用させない。プラスチックの定規の方が子どもには扱いやすいんじゃないかしら。それとも、そんなものを筆入れに入れていたら、授業中の手遊び(いたずら)がひどくて授業が成立しにくいとか?
・不等号記号(3>1なんていうヤツ)がない
→この先どこで教えるんだろう。以前にも書いたけれど、ほとんど日本語化している記号だよね。2年生で時計の読み方を教えるように、やっぱり「脳みそじゃなくて脊髄で憶える」小さいうちに叩き込む方が面倒がないと思うんだけどなあ。
→これだけが単独なんだよね。次に続くものがない。体積(立方センチメートル=ミリリットル)に繋げるなら分かるが。体積なんて、5年生以降まで登場しないみたい。忘れちゃうに決まってるよねえ
・?、?の加減法もいきなり登場=竹の物差しの使用
→直線をはかったり書いたりさせるのに、そのくせ「定規」という、もっと使いやすいモノは使用させない。プラスチックの定規の方が子どもには扱いやすいんじゃないかしら。それとも、そんなものを筆入れに入れていたら、授業中の手遊び(いたずら)がひどくて授業が成立しにくいとか?
・不等号記号(3>1なんていうヤツ)がない
→この先どこで教えるんだろう。以前にも書いたけれど、ほとんど日本語化している記号だよね。2年生で時計の読み方を教えるように、やっぱり「脳みそじゃなくて脊髄で憶える」小さいうちに叩き込む方が面倒がないと思うんだけどなあ。
最近のできごと
2003年6月27日更新が滞って申し訳ございません。
苅谷先生の著作に関連した現象・・・・・「ネオリベラリズム」の現実化
・埼玉県の高校入試が今年度から全県一区に。
ということは、クマ高やカス高の一番上位の部分がウラ高に流れる。県立高校のピラミッド構造がほぼ完成するわけです。カス高やクマ高のOBや教員は戦々恐々としている。
「土曜日も補習」なんていうアイディアさえマジメに議論されているというウワサです。
しかし、名の通った大学に受かるかどうかが、世間一般的にみれば高校の唯一の評価軸だからなあ。上澄みの部分をウラ高に持って行かれては、それでなくても多くはない東大合格者、ゼロになってしまう。
・旧「タマイチ」改めカイチ中高一貫校。
同じ敷地にある同じ経営のカイチ高校とは全く交流なし。つまり、受験エリート養成学校です。
中高一貫校に対して、普通のカイチ高の子はひがんだりしないのかな。それとも、同じ学校(?)ってことで誇らしいだらうか。
中高一貫校は、指導要領の先取り・徹底した受験指導等々により、今年度の高校卒業生はびっくりするほど大学に合格しています。中学入試当時のヘンサチを考えたら「がんばったんだねーー(涙)」という位、飛躍しています。
で、来年度から小学校も募集するんだって。
縦割りクラス編成とかとにかく斬新な学校経営をするらしい。ガシガシ先取り授業やって、小学生のうちに英検3級を全員に取らせるとか豪語しています。
すげー。
理事長(学園長?)は、はっきり「エリートを育てる」と主張している。
・・・・いいの?
そういうことを活字にしても許される時代が来たということなんでしょうか。
埼玉は人口のわりに私立がごく少なくて、特に東部には「マトモな私立」がほとんどなかったから、確かにニーズはあると思う。
だけどねえ、小学生の募集うたい文句が「自分で判断する力」「新しいエリートを作る」「英検3級」って。
他にも色々、そうかなるほど面白そうと思わせることを言ってますが、ワタシは「エリート」の一言にひいてしまった。
興味のある方はカイチHPの中高一貫部を覗いてみて下さいませ。
苅谷先生の著作に関連した現象・・・・・「ネオリベラリズム」の現実化
・埼玉県の高校入試が今年度から全県一区に。
ということは、クマ高やカス高の一番上位の部分がウラ高に流れる。県立高校のピラミッド構造がほぼ完成するわけです。カス高やクマ高のOBや教員は戦々恐々としている。
「土曜日も補習」なんていうアイディアさえマジメに議論されているというウワサです。
しかし、名の通った大学に受かるかどうかが、世間一般的にみれば高校の唯一の評価軸だからなあ。上澄みの部分をウラ高に持って行かれては、それでなくても多くはない東大合格者、ゼロになってしまう。
・旧「タマイチ」改めカイチ中高一貫校。
同じ敷地にある同じ経営のカイチ高校とは全く交流なし。つまり、受験エリート養成学校です。
中高一貫校に対して、普通のカイチ高の子はひがんだりしないのかな。それとも、同じ学校(?)ってことで誇らしいだらうか。
中高一貫校は、指導要領の先取り・徹底した受験指導等々により、今年度の高校卒業生はびっくりするほど大学に合格しています。中学入試当時のヘンサチを考えたら「がんばったんだねーー(涙)」という位、飛躍しています。
で、来年度から小学校も募集するんだって。
縦割りクラス編成とかとにかく斬新な学校経営をするらしい。ガシガシ先取り授業やって、小学生のうちに英検3級を全員に取らせるとか豪語しています。
すげー。
理事長(学園長?)は、はっきり「エリートを育てる」と主張している。
・・・・いいの?
そういうことを活字にしても許される時代が来たということなんでしょうか。
埼玉は人口のわりに私立がごく少なくて、特に東部には「マトモな私立」がほとんどなかったから、確かにニーズはあると思う。
だけどねえ、小学生の募集うたい文句が「自分で判断する力」「新しいエリートを作る」「英検3級」って。
他にも色々、そうかなるほど面白そうと思わせることを言ってますが、ワタシは「エリート」の一言にひいてしまった。
興味のある方はカイチHPの中高一貫部を覗いてみて下さいませ。
教育って、誰でもいっぱしのことが語れる分野なのだ
2003年6月18日いったん苅谷剛彦の著作から離れます。
教育や子育てを巡る言説で思い出せること、色々。
色んな教育学者が、色んなことを言っています。
新聞も教育問題を取り上げるのが好き。
つまり、読む人が多いんでしょうね。
かつて自分も子供だったし、多くのオトナは子育て経験があるし。
そういう意味で、教育問題って全国民共通の話題です。プロ野球より読者は多いかも。
http://www.mainichi.co.jp/women/watch/Father/Profile.html
毎日新聞に汐見 稔幸(しおみ・としゆき)が連載していた「おーい父親」というコラムをご存じの方も多いことと思う。
この人もまた東大教育学部の助教授なのだが、
http://www.ikuji-hoiku.com/kyouji.html
という「臨床保育・育児研究会」なるものに関わり、研究のかたわら幼児期の育ちと保護者への啓蒙活動をやっている。もっとも分かりやすい「父親の育児参加」をコラムにしたのも、その活動の一環だろう。
3年近く前、タロウ二年生が通っていた幼稚園の保護者会主催後援会に、汐見さんが来てくれた。
関西人で講演慣れしているせいか、ノリは吉本で話じょうず、面白かったです。
著作を読んでいる者にとっては正直たいした講演ではなかったのだが、刺激的な部分もあった。
・・・・・・・・・・・
「いくつかの国の子供に同じアンケートをした。そしたら、日本のこども達は自己評価が低く、他人の目をひどく気にしている。友達関係に苦しんでいる→自分をありのままで認めるような子育てを親は心がけてほしい。しかし、やたらに誉めればよいというものではない」
「欧米人が二十歳前後で思春期を卒業していわゆるオトナになるのに比べ、我々日本人は『ま、こんなものだ、これが自分なんだから』と思えるようになるのは40歳前後、つまり中年になってから。長い長い思春期を過ごしていることになる。逆に考えると、二十歳でオトナになるという欧米の十代後半のこども達は、すさまじい自己模索と葛藤の青春を経験しているわけだ」
・・・・・・・・・・・・・
うんうん、この「日本人の長い長い思春期」という言説を挟んだことは「子育て中の親だってまだ思春期かも」という視点を聞く側に持たせてくれて、とても良かった。
しかし一方、子供の自己評価の高低というのは、それぞれ育った文化の差異による所が大だから、一律には比較できないと思うのだが。我が子を「豚児」女房を「愚妻」と呼び、「ツマラナイものですが」と贈り物をする我が国においては、自慢タレこそが恥ずかしい行いだからなあ。日本の中学生は「自分はよくがんばっていると思う」というアンケート、素直にイエスとは答えられないでしょう。
だからアンケートの国際比較って扱いがムズカシイのだ。
地域文化という変数をどのように設定するか、分析する者の第一のハードルだよね。
研究者の一般向け講演、私はこういうところでいつもひっかかる。
本人は騙しているつもりは毛頭なくても、聞く側の多くは「そうか、日本の子供は対人関係に苦しんでいるんだなー」となってしまう。
一般向けの書籍や講演って、研究者にとっては「芸能界デビュー」みたいな感じなんだろうか。ちょっと「仁義なき戦い」の場なのだろうな。
社会科学においては、この戦いをすることで得られるモノがあまりにもでかいから、あえて戦場に繰り出して行くのだろうけれど。
閑話休題。
さて、苅谷剛彦。
「学力低下」を言いだしてから4年、風は彼の方に向いてきたが、最初のころはボコボコに叩かれたらしい。一方では拍手する人もいた。
センセーショナルなマスコミ人が苅谷にのっかって色々と書いたけれど、苅谷が言いたかった本質は「もっと勉強させろ」だけじゃないんだよ。
この部分についてはまた後ほど。
教育や子育てを巡る言説で思い出せること、色々。
色んな教育学者が、色んなことを言っています。
新聞も教育問題を取り上げるのが好き。
つまり、読む人が多いんでしょうね。
かつて自分も子供だったし、多くのオトナは子育て経験があるし。
そういう意味で、教育問題って全国民共通の話題です。プロ野球より読者は多いかも。
http://www.mainichi.co.jp/women/watch/Father/Profile.html
毎日新聞に汐見 稔幸(しおみ・としゆき)が連載していた「おーい父親」というコラムをご存じの方も多いことと思う。
この人もまた東大教育学部の助教授なのだが、
http://www.ikuji-hoiku.com/kyouji.html
という「臨床保育・育児研究会」なるものに関わり、研究のかたわら幼児期の育ちと保護者への啓蒙活動をやっている。もっとも分かりやすい「父親の育児参加」をコラムにしたのも、その活動の一環だろう。
3年近く前、タロウ二年生が通っていた幼稚園の保護者会主催後援会に、汐見さんが来てくれた。
関西人で講演慣れしているせいか、ノリは吉本で話じょうず、面白かったです。
著作を読んでいる者にとっては正直たいした講演ではなかったのだが、刺激的な部分もあった。
・・・・・・・・・・・
「いくつかの国の子供に同じアンケートをした。そしたら、日本のこども達は自己評価が低く、他人の目をひどく気にしている。友達関係に苦しんでいる→自分をありのままで認めるような子育てを親は心がけてほしい。しかし、やたらに誉めればよいというものではない」
「欧米人が二十歳前後で思春期を卒業していわゆるオトナになるのに比べ、我々日本人は『ま、こんなものだ、これが自分なんだから』と思えるようになるのは40歳前後、つまり中年になってから。長い長い思春期を過ごしていることになる。逆に考えると、二十歳でオトナになるという欧米の十代後半のこども達は、すさまじい自己模索と葛藤の青春を経験しているわけだ」
・・・・・・・・・・・・・
うんうん、この「日本人の長い長い思春期」という言説を挟んだことは「子育て中の親だってまだ思春期かも」という視点を聞く側に持たせてくれて、とても良かった。
しかし一方、子供の自己評価の高低というのは、それぞれ育った文化の差異による所が大だから、一律には比較できないと思うのだが。我が子を「豚児」女房を「愚妻」と呼び、「ツマラナイものですが」と贈り物をする我が国においては、自慢タレこそが恥ずかしい行いだからなあ。日本の中学生は「自分はよくがんばっていると思う」というアンケート、素直にイエスとは答えられないでしょう。
だからアンケートの国際比較って扱いがムズカシイのだ。
地域文化という変数をどのように設定するか、分析する者の第一のハードルだよね。
研究者の一般向け講演、私はこういうところでいつもひっかかる。
本人は騙しているつもりは毛頭なくても、聞く側の多くは「そうか、日本の子供は対人関係に苦しんでいるんだなー」となってしまう。
一般向けの書籍や講演って、研究者にとっては「芸能界デビュー」みたいな感じなんだろうか。ちょっと「仁義なき戦い」の場なのだろうな。
社会科学においては、この戦いをすることで得られるモノがあまりにもでかいから、あえて戦場に繰り出して行くのだろうけれど。
閑話休題。
さて、苅谷剛彦。
「学力低下」を言いだしてから4年、風は彼の方に向いてきたが、最初のころはボコボコに叩かれたらしい。一方では拍手する人もいた。
センセーショナルなマスコミ人が苅谷にのっかって色々と書いたけれど、苅谷が言いたかった本質は「もっと勉強させろ」だけじゃないんだよ。
この部分についてはまた後ほど。
苅谷剛彦『なぜ教育論争は不毛なのか』
2003年6月17日これから、上記の本(中公新書ラクレ)を読んで考えたことを数回に渡ってUPします。
タイヘン面白いマジメな本です。
是非購入され、線をばしばし引きながら読まれることをお勧めします。
子育て中のママ友達の皆様が、学校教育に対して「???」と思っていることを、苅谷センセイが快刀乱麻に答えております。
苅谷先生は東大教育学の教授ですが、社会学的アプローチと論理の組み立てをされる方らしい。
この一般向け書籍では、抽象論や根拠のない理想論は一切排除されており、事実としてこの数年間に起きていること、論じられてきたことを検証しています。そして、この先必然的に起こる事態を予測し、憂慮しています。
この本で論じられているのは
「文部科学省が、いかに納税者へのアカウンタビリティをはたして来なかったか。現行の指導要領・文部行政がしていることは、社会階層較差の拡大につながっている。これは社会正義に反する」
ということだと、たこすけは読みました。
○事実の確認○
・文部科学省は行きすぎた受験詰め込み教育を反省し、「生きる力=興味を持ち、自分で読み解き、考える」(新しい学力)を提唱、「総合的学習」という時間を導入。完全週休二日、学習指導要領を3割削減を決定。
・学力低下を憂える論がかまびすしくなると、寺脇研(「生きる力」を導入した役人)は、「新学習指導要領はミニマムスタンダードだ」と言いだした。みんなが百点を取れるのが目標の指導要領であり、出来る子供にはそれ以上のことを教えてもいい、と明言。
・学習指導要領にのっとった薄っぺらな教科書が無償配布される一方で、教師向けの「発展的学習(できる子向け)のための指導書」が作られることになった
・2002年、文科省アピール「学びのすすめ」で「確かな学力の向上」のために、宿題や補習を奨励。
・昨年末に発表された、全国5万人の中学生を対象に行われた学力調査の結果、こどもの学力ははっきり低下していた
・各大学の入学定員が大幅に減少しない限り、2006年には、大学は希望者全員が入れるようになる。大学全入時代が始まる
本日これまで。
文部科学省の方針の揺れが分かっていただけますか?
現場の先生達はどれほどタイヘンだろう。
親には「苦悶」とか「べねっせ」とか対処療法があるんだけどねー。
タイヘン面白いマジメな本です。
是非購入され、線をばしばし引きながら読まれることをお勧めします。
子育て中のママ友達の皆様が、学校教育に対して「???」と思っていることを、苅谷センセイが快刀乱麻に答えております。
苅谷先生は東大教育学の教授ですが、社会学的アプローチと論理の組み立てをされる方らしい。
この一般向け書籍では、抽象論や根拠のない理想論は一切排除されており、事実としてこの数年間に起きていること、論じられてきたことを検証しています。そして、この先必然的に起こる事態を予測し、憂慮しています。
この本で論じられているのは
「文部科学省が、いかに納税者へのアカウンタビリティをはたして来なかったか。現行の指導要領・文部行政がしていることは、社会階層較差の拡大につながっている。これは社会正義に反する」
ということだと、たこすけは読みました。
○事実の確認○
・文部科学省は行きすぎた受験詰め込み教育を反省し、「生きる力=興味を持ち、自分で読み解き、考える」(新しい学力)を提唱、「総合的学習」という時間を導入。完全週休二日、学習指導要領を3割削減を決定。
・学力低下を憂える論がかまびすしくなると、寺脇研(「生きる力」を導入した役人)は、「新学習指導要領はミニマムスタンダードだ」と言いだした。みんなが百点を取れるのが目標の指導要領であり、出来る子供にはそれ以上のことを教えてもいい、と明言。
・学習指導要領にのっとった薄っぺらな教科書が無償配布される一方で、教師向けの「発展的学習(できる子向け)のための指導書」が作られることになった
・2002年、文科省アピール「学びのすすめ」で「確かな学力の向上」のために、宿題や補習を奨励。
・昨年末に発表された、全国5万人の中学生を対象に行われた学力調査の結果、こどもの学力ははっきり低下していた
・各大学の入学定員が大幅に減少しない限り、2006年には、大学は希望者全員が入れるようになる。大学全入時代が始まる
本日これまで。
文部科学省の方針の揺れが分かっていただけますか?
現場の先生達はどれほどタイヘンだろう。
親には「苦悶」とか「べねっせ」とか対処療法があるんだけどねー。
?と?の計算に苦しむ
2003年6月11日物差しで子どもをひっぱたきたくなる衝動を、一所懸命抑えております。
4?6?+2?3?
1?7?+2?5?
こういう計算で、タロウ二年生は完全に行き詰まってるのだ。
> = < の使い方は何とか分かるようになりました(すぐに忘れるだろうけど)。
新学習指導要領では削除された内容だけれど、不等号記号って、もはや日本語化してるよね。
この意味を知らず使えないのはいかがなものか?という思いから、鬼母が叩き込んだのさ。
ところで、?と?の計算。
これが、絶望的にワカラナイ。
そもそも、1?=10?というのが脳みそ(いや脊髄と言うべきだな、これは)に入らない。すぐに忘れる。
「3?は、何??」
「13?」
「・・・・ちがうよ(脱力)・・・」
「じゃあ、3??」
「・・・・(メマイがして沈黙)・・・」
気を取り直して、振り出しに戻ってみる。
「じゃあさあ、1?は何?だっけ?」
「10?に決まってるじゃん!」 大いばりです。
「それなら2?は?」
「20?だろ!簡単すぎ」 その根拠のない自信が一体どこから生まれてるのか、小一時間ほど問いつめたくなる。
「3?は?」
「30?だよ」
・・・やっと正解が出る。
「2?+6?は?」
「8?だよ」 これもできる。
「じゃあ、5?+7?は?」
「12?」 できるじゃん、タロウ二年生。だが、ここからが苦難の道のり、母を訪ねて三千里なのだよ・・・・
「12?って、何?何??」
「・・・・・わかんねーよ!」 いきなりキレて見せる。役者やのう、タロウ二年生(って感心してどうする!)
また振り出しに戻って、1?が10?だというところから説明し直す。
お財布に1円玉がいっぱいになったらじゃまでしょ?一円玉10個で10円玉1個と同じだから、交換するといいんだよ。?と?も同じ。?が1円玉で、?が10円玉なの。
だから、12?って、12円と同じ。10円玉1個と1円玉2個だよね。10円玉が?、1円玉が?って考えればいいんだよ。だからね、12?って1?2?にするんだよ。10?になったら、繰り上がって1?になるの。
説明しながら鬼母、だんだん根気がなくなってくる。
だってタロウ二年生、あくびしたり消しゴムで遊んだり、突然ねそべってみたり。つまり、ワカラナイというアピールです。
鬼母、昔それなりに勉強したはずの水道方式とかを思い出してみるものの、悲しいかなタロウ二年生レベルに理解できる解説が出来ないようです。
「3?+2?は何??」
「5?!」 アタリ。ここまでは何とかなる。でも
「3?2?+2?は?」
「・・・・7??」
「・・・・・(どうしたらいいかフリーズする鬼母)・・・」
学校から物差しを配られて、毎日ほこらしげにランドセルにつっこんで登校しています。
だが、その実態は、
ナ ニ も 分 か っ て い な い!!
虐めないで勉強させなくちゃ。
そう自戒しつつ、ウタダヒカルのお母さんの曲が脳内に響き渡るのでございました。
どうすりゃいいのさ、このワタシ。
4?6?+2?3?
1?7?+2?5?
こういう計算で、タロウ二年生は完全に行き詰まってるのだ。
> = < の使い方は何とか分かるようになりました(すぐに忘れるだろうけど)。
新学習指導要領では削除された内容だけれど、不等号記号って、もはや日本語化してるよね。
この意味を知らず使えないのはいかがなものか?という思いから、鬼母が叩き込んだのさ。
ところで、?と?の計算。
これが、絶望的にワカラナイ。
そもそも、1?=10?というのが脳みそ(いや脊髄と言うべきだな、これは)に入らない。すぐに忘れる。
「3?は、何??」
「13?」
「・・・・ちがうよ(脱力)・・・」
「じゃあ、3??」
「・・・・(メマイがして沈黙)・・・」
気を取り直して、振り出しに戻ってみる。
「じゃあさあ、1?は何?だっけ?」
「10?に決まってるじゃん!」 大いばりです。
「それなら2?は?」
「20?だろ!簡単すぎ」 その根拠のない自信が一体どこから生まれてるのか、小一時間ほど問いつめたくなる。
「3?は?」
「30?だよ」
・・・やっと正解が出る。
「2?+6?は?」
「8?だよ」 これもできる。
「じゃあ、5?+7?は?」
「12?」 できるじゃん、タロウ二年生。だが、ここからが苦難の道のり、母を訪ねて三千里なのだよ・・・・
「12?って、何?何??」
「・・・・・わかんねーよ!」 いきなりキレて見せる。役者やのう、タロウ二年生(って感心してどうする!)
また振り出しに戻って、1?が10?だというところから説明し直す。
お財布に1円玉がいっぱいになったらじゃまでしょ?一円玉10個で10円玉1個と同じだから、交換するといいんだよ。?と?も同じ。?が1円玉で、?が10円玉なの。
だから、12?って、12円と同じ。10円玉1個と1円玉2個だよね。10円玉が?、1円玉が?って考えればいいんだよ。だからね、12?って1?2?にするんだよ。10?になったら、繰り上がって1?になるの。
説明しながら鬼母、だんだん根気がなくなってくる。
だってタロウ二年生、あくびしたり消しゴムで遊んだり、突然ねそべってみたり。つまり、ワカラナイというアピールです。
鬼母、昔それなりに勉強したはずの水道方式とかを思い出してみるものの、悲しいかなタロウ二年生レベルに理解できる解説が出来ないようです。
「3?+2?は何??」
「5?!」 アタリ。ここまでは何とかなる。でも
「3?2?+2?は?」
「・・・・7??」
「・・・・・(どうしたらいいかフリーズする鬼母)・・・」
学校から物差しを配られて、毎日ほこらしげにランドセルにつっこんで登校しています。
だが、その実態は、
ナ ニ も 分 か っ て い な い!!
虐めないで勉強させなくちゃ。
そう自戒しつつ、ウタダヒカルのお母さんの曲が脳内に響き渡るのでございました。
どうすりゃいいのさ、このワタシ。
おやつは300円まで
2003年6月9日もうじき遠足です。
いや、今や「遠足」という言葉は使えないらしい。
というのは、授業時数確保のためにナニもかもの行事を授業と捉えなくてはならないらしく、遠足も「せいかつ科の校外学習」という設定です。
ま、そんな事情はタロウ二年生にとっては全く関係なし。盛り上がりまくっております。
遠足のお知らせプリントを見たら
「おやつは三百円まで」。
おお、このなつかしいフレーズは21世紀にも生きていたのか!
感動した父親とともにタロウ二年生は駄菓子屋に出陣、小一時間かかって三百円分のおやつを購入してまいりました。
だが買った物が全部アメとガムというのはいかがなものか??
こいつは、教室のかべに張り出された自己紹介でも「すきな食べ物は、アメとガム」と書いておりました。他の子は「ハンバーグ」とか「ラーメン」とか「いちご」とか妥当なことを書いてた・・・・。
ま、そういうわけで、おやつは三百円までなのだよ。
駄菓子屋で同じように遠足のおやつショッピングをしていた見知らぬ女の子と友達(?)になり、隣の学区の子だったのだが「うちの学校は、おやつは二百円までだよ、そっちはいいなー」とうらやましがられたんだって。
10円のアメ、30円のガム、20円のアメ・・・
タロウ二年生、がんばって足し算やったけど消費税の計算なんてできないから、結局は父親がこっそり計算して帳尻を合わせたんだそうです。
買ってきた駄菓子の数々をテーブルに並べて
「あーー!早く遠足にいきたーい!!」
と叫ぶタロウ二年生。
うん、とりあえずオマエは正しい小学生をやってると思うよ。
いや、今や「遠足」という言葉は使えないらしい。
というのは、授業時数確保のためにナニもかもの行事を授業と捉えなくてはならないらしく、遠足も「せいかつ科の校外学習」という設定です。
ま、そんな事情はタロウ二年生にとっては全く関係なし。盛り上がりまくっております。
遠足のお知らせプリントを見たら
「おやつは三百円まで」。
おお、このなつかしいフレーズは21世紀にも生きていたのか!
感動した父親とともにタロウ二年生は駄菓子屋に出陣、小一時間かかって三百円分のおやつを購入してまいりました。
だが買った物が全部アメとガムというのはいかがなものか??
こいつは、教室のかべに張り出された自己紹介でも「すきな食べ物は、アメとガム」と書いておりました。他の子は「ハンバーグ」とか「ラーメン」とか「いちご」とか妥当なことを書いてた・・・・。
ま、そういうわけで、おやつは三百円までなのだよ。
駄菓子屋で同じように遠足のおやつショッピングをしていた見知らぬ女の子と友達(?)になり、隣の学区の子だったのだが「うちの学校は、おやつは二百円までだよ、そっちはいいなー」とうらやましがられたんだって。
10円のアメ、30円のガム、20円のアメ・・・
タロウ二年生、がんばって足し算やったけど消費税の計算なんてできないから、結局は父親がこっそり計算して帳尻を合わせたんだそうです。
買ってきた駄菓子の数々をテーブルに並べて
「あーー!早く遠足にいきたーい!!」
と叫ぶタロウ二年生。
うん、とりあえずオマエは正しい小学生をやってると思うよ。
母は教師になれない・・・分かってたけど(怒)
2003年6月1日鬼母は、本日も鬼のように怒っております。
どうしてタロウ二年生の勉強につきあっていると、こうまで腹が立つのだろう。
これがよその子なら根気強く教え込めるだろうに。そしてタロウ二年生も相手が母じゃなければ、ここまでふて腐れたりしないだろうに。
タロウ二年生は「打てば響く」タイプじゃない。ぜんぜん「目から鼻に抜け」ません。悲しいかな、打っても打っても響かない。
それは持って生まれたヤツの個性だし、そういうタイプだからこそのステキな部分もいっぱいあります。だから鬼母、不満はありません。
ねちねちとやっているうちに人並みについて行けると思うので、毎日つきあって宿題をやらせたりしています。際だって賢くなって欲しいとは思ってないし。学校が楽しくて友達といっぱい遊べて体が丈夫。そういう子どもでいてほしい。
鬼母が怒るのは、タロウ二年生が「ふて腐れる」ところです!
算数の答合わせをする。間違いが見つかる。指摘する。すると、たちまちタロウ二年生はふて腐れるのであります。
コノヤロー!!
分からないとか、間違うとか、負けるとか、そういうことに対する耐性がゼロなんだよね。
すぐにヘコんで投げ出す。
負けた時、間違った時、分からなかった時「よし、もう一度やってみるぞー」と思えなければ、一体どうやって成長して行くというんだろう。この先、100点とりつづけるなんてムリなのに。100点じゃなかったときの対応こそが問われるチカラなのに。
将棋をやっていてもオセロをやっていてもトランプをやっていても、とにかく親と遊ぶと「負け」を認められなくて、ふて腐れたり泣いたり。
・・・・こっちこそ、もうやだよ。
こんなヤツとは遊びたくないし、一緒に勉強なんかしたくないーーー!!
そう言えば、学級崩壊してた1年生の時、担任が言ってたなあ。
「ちょっとした間違い・分からないことがあると、すぐに何もかもがいやになって投げ出す子どもが多い」
うーむ、このごろのこども達のトレンドにタロウ二年生も乗ってるんだろうか。
幼稚園で「どんなことでも一生懸命にやり続けると出来るようになる」という経験を積んできたはずじゃないか。ヒモ独楽、竹馬、縫い物、ヤギの世話等々、できっこない課題を諦めずにやって奇跡のようにクリアした経験は、一体どうなったんだ?
スイミング、マジメに通って泳いでいたら、いつの間にか平泳ぎキックまで到達してるじゃないか。
・・・・やっぱり、母がセンセイというのが問題なんだろうなあ。
教えるのが私でなければ、タロウ二年生もここまでワガママに感情をむき出しにしないんだと思う。
ホント、こいつの勉強につきあっていると親子関係が悪くなります。
どうしたもんだろう。
よその子どもの相手だったら、ホントにいつまでだってできるんだけどなあ、ノウハウもあるし。
ああ、よそんちの子どもの家庭教師とかピアノのセンセイやって、そのお金でタロウ二年生を塾に入れちゃおうかなあーーー(今日は弱気)
どうしてタロウ二年生の勉強につきあっていると、こうまで腹が立つのだろう。
これがよその子なら根気強く教え込めるだろうに。そしてタロウ二年生も相手が母じゃなければ、ここまでふて腐れたりしないだろうに。
タロウ二年生は「打てば響く」タイプじゃない。ぜんぜん「目から鼻に抜け」ません。悲しいかな、打っても打っても響かない。
それは持って生まれたヤツの個性だし、そういうタイプだからこそのステキな部分もいっぱいあります。だから鬼母、不満はありません。
ねちねちとやっているうちに人並みについて行けると思うので、毎日つきあって宿題をやらせたりしています。際だって賢くなって欲しいとは思ってないし。学校が楽しくて友達といっぱい遊べて体が丈夫。そういう子どもでいてほしい。
鬼母が怒るのは、タロウ二年生が「ふて腐れる」ところです!
算数の答合わせをする。間違いが見つかる。指摘する。すると、たちまちタロウ二年生はふて腐れるのであります。
コノヤロー!!
分からないとか、間違うとか、負けるとか、そういうことに対する耐性がゼロなんだよね。
すぐにヘコんで投げ出す。
負けた時、間違った時、分からなかった時「よし、もう一度やってみるぞー」と思えなければ、一体どうやって成長して行くというんだろう。この先、100点とりつづけるなんてムリなのに。100点じゃなかったときの対応こそが問われるチカラなのに。
将棋をやっていてもオセロをやっていてもトランプをやっていても、とにかく親と遊ぶと「負け」を認められなくて、ふて腐れたり泣いたり。
・・・・こっちこそ、もうやだよ。
こんなヤツとは遊びたくないし、一緒に勉強なんかしたくないーーー!!
そう言えば、学級崩壊してた1年生の時、担任が言ってたなあ。
「ちょっとした間違い・分からないことがあると、すぐに何もかもがいやになって投げ出す子どもが多い」
うーむ、このごろのこども達のトレンドにタロウ二年生も乗ってるんだろうか。
幼稚園で「どんなことでも一生懸命にやり続けると出来るようになる」という経験を積んできたはずじゃないか。ヒモ独楽、竹馬、縫い物、ヤギの世話等々、できっこない課題を諦めずにやって奇跡のようにクリアした経験は、一体どうなったんだ?
スイミング、マジメに通って泳いでいたら、いつの間にか平泳ぎキックまで到達してるじゃないか。
・・・・やっぱり、母がセンセイというのが問題なんだろうなあ。
教えるのが私でなければ、タロウ二年生もここまでワガママに感情をむき出しにしないんだと思う。
ホント、こいつの勉強につきあっていると親子関係が悪くなります。
どうしたもんだろう。
よその子どもの相手だったら、ホントにいつまでだってできるんだけどなあ、ノウハウもあるし。
ああ、よそんちの子どもの家庭教師とかピアノのセンセイやって、そのお金でタロウ二年生を塾に入れちゃおうかなあーーー(今日は弱気)
「オフクロの味」ならぬ、「袋の味」
2003年5月26日鬼母は料理が嫌いではない。
むしろ、やや好きかも。
しかし、料理にこだわりを持ち時間と手間暇をかけるかと問われれば、否と答えるしかないです。「食」へのこだわりなんて、ほとんどないに等しい。せいぜい「野菜を沢山食べる・できるだけ地物、国産を使う・出所のはっきりしたモノを食べる・養殖魚は気味が悪いから遠慮したい」程度のもの。
当然、値段も高いよりは安い方が嬉しい。
ま、その程度のノンポリなので、言い訳できるように生協の共同購入で買った物を中心に食べております。
簡単・便利・美味しいのならば、調味料でもレトルト食品でも躊躇なく利用させていただいてます。
通称「袋の味」。レトルトを含めた市販調味料の数々、愛用してます。これがなかったら調理できませんーん。「袋の味」あってこその「オフクロの味」なのさ(開き直り)。
どれも、バカにできない旨さなんだよね!
たとえば
◎ルーミックの「粉末ミートソースの素」 + S&B「スパイスミックス・バジリコ」
これはウマイ!去年まで毎日、熱愛中の恋人同士のようにおしゃべりして来たママ友達が教えてくれた。缶詰やレトルトのミートソースとは全く違う味わいです。
挽肉とみじん切り野菜は自分で用意する。オリーブオイルでそれらを炒めて、水とこの粉末を加えて煮る。鬼母は指定量の何倍もの野菜(とてもミートソースには入れないだろうと思われる、様々な冷蔵庫の残り野菜)を入れるので、足りない塩味は「S&Bスパイスミックス・バジリコ」で補う。月桂樹の葉っぱを入れる。煮込む。
おお、いきなりイタリアンだよーー(嬉!)
S&Bのバジリコ味は、どんな料理にも使えて便利です。たとえば生鮭をバターで焼いて白ワインを加え、このスパイスミックスを振りかけて蓋をする→2分で「サーモンムニエル・イタリア風」なんていうしゃれた料理のできあがりさ。うはは
◎ミツカン「マリネの素」 + オリーブオイル
新発見です。とっても美味しいサラダドレッシングになるのだ!!
これまでサラダドレッシングと言えば、生協の醤油味ドレッシングとか和風シソ風味とか(タロウ二年生は、マヨネーズが嫌いです)。
レタスとトマトとキウリを、「マリネの素」4:オリーブオイル1の割合であえてみた。・・・・けっこう絶品かも・・・・市販のドレッシングよりウマイ!タロウ二年生、むさぼり食う。
ま、こんな食生活です。
今日のメニューなんて、
・「セルフおむすび」・・・大きなどんぶりに盛られたご飯を、好きな具材(シャケ・コンブ・たらこ・のりタマ・錦松梅)で勝手におむすびにして(タロウ二年生はピンポン球の大きさに作ってた)、ノリで巻いて食べる
・アサリのみそ汁
・トマトとキウリとワカメとゆで卵のサラダ
ガス台は、ゆで卵を作る時と、みそ汁を作る時しか使いませんでした。
タンパク質はどこだ、というツッコミはやめてください(懇願)
むしろ、やや好きかも。
しかし、料理にこだわりを持ち時間と手間暇をかけるかと問われれば、否と答えるしかないです。「食」へのこだわりなんて、ほとんどないに等しい。せいぜい「野菜を沢山食べる・できるだけ地物、国産を使う・出所のはっきりしたモノを食べる・養殖魚は気味が悪いから遠慮したい」程度のもの。
当然、値段も高いよりは安い方が嬉しい。
ま、その程度のノンポリなので、言い訳できるように生協の共同購入で買った物を中心に食べております。
簡単・便利・美味しいのならば、調味料でもレトルト食品でも躊躇なく利用させていただいてます。
通称「袋の味」。レトルトを含めた市販調味料の数々、愛用してます。これがなかったら調理できませんーん。「袋の味」あってこその「オフクロの味」なのさ(開き直り)。
どれも、バカにできない旨さなんだよね!
たとえば
◎ルーミックの「粉末ミートソースの素」 + S&B「スパイスミックス・バジリコ」
これはウマイ!去年まで毎日、熱愛中の恋人同士のようにおしゃべりして来たママ友達が教えてくれた。缶詰やレトルトのミートソースとは全く違う味わいです。
挽肉とみじん切り野菜は自分で用意する。オリーブオイルでそれらを炒めて、水とこの粉末を加えて煮る。鬼母は指定量の何倍もの野菜(とてもミートソースには入れないだろうと思われる、様々な冷蔵庫の残り野菜)を入れるので、足りない塩味は「S&Bスパイスミックス・バジリコ」で補う。月桂樹の葉っぱを入れる。煮込む。
おお、いきなりイタリアンだよーー(嬉!)
S&Bのバジリコ味は、どんな料理にも使えて便利です。たとえば生鮭をバターで焼いて白ワインを加え、このスパイスミックスを振りかけて蓋をする→2分で「サーモンムニエル・イタリア風」なんていうしゃれた料理のできあがりさ。うはは
◎ミツカン「マリネの素」 + オリーブオイル
新発見です。とっても美味しいサラダドレッシングになるのだ!!
これまでサラダドレッシングと言えば、生協の醤油味ドレッシングとか和風シソ風味とか(タロウ二年生は、マヨネーズが嫌いです)。
レタスとトマトとキウリを、「マリネの素」4:オリーブオイル1の割合であえてみた。・・・・けっこう絶品かも・・・・市販のドレッシングよりウマイ!タロウ二年生、むさぼり食う。
ま、こんな食生活です。
今日のメニューなんて、
・「セルフおむすび」・・・大きなどんぶりに盛られたご飯を、好きな具材(シャケ・コンブ・たらこ・のりタマ・錦松梅)で勝手におむすびにして(タロウ二年生はピンポン球の大きさに作ってた)、ノリで巻いて食べる
・アサリのみそ汁
・トマトとキウリとワカメとゆで卵のサラダ
ガス台は、ゆで卵を作る時と、みそ汁を作る時しか使いませんでした。
タンパク質はどこだ、というツッコミはやめてください(懇願)
2年生の「待ち合わせ」って
2003年5月23日タロウ二年生、毎日だれかと遊ぶ約束をして帰宅します。
習い事(スイミング)も同じクラスの友達数人と一緒にバスで通っているので、やっぱり「待ち合わせ」してバス停に行く。バス停でふざけっこしながら待つ。バスの中でおやつを分け合い、毎回が遠足気分。
もう、トモダチ命!って感じ。
しかし何しろメマイがするほど幼いので、待ち合わせの場所は決めても時間を決めて来ないんだよねー。仲良しの遊び友達もタロウ二年生と大して変わらない幼さなので、行き違いもしょっちゅうです。
本日もまた。
帰宅してランドセルを放りだし、麦茶をゴクゴク飲むと「グランドに集合なんだ!そのあとだれかんちで遊ぶかは、まだ決めてないの」と飛び出して行きました。
30分後、△△君から電話
「タロウ二年生、いますか?」
「友達とグランドに集合だって言って出かけたよ」
「ハイ、分かりました」
その10分後、タロウ二年生帰宅。
ムカついたような、でもしょんぼりしたような顔つき。
「オレはずっと待ってたのに、誰も来なかった」
「誰と約束したの?さっき△△君から電話が来たよ」
「集合するのはね、オレと△△君と、□□君。でも二人とも来ないの」
「じゃあ電話してごらん」
「ヤダ」
「何で?」
「・・・・」
このあと、三人の母達の電話が飛び交い、つまりガキ共は時間を決めずに約束して勝手な時間に集合場所に行き、それぞれみんな「友達が来ないーー」ってがっくし帰宅したということが判明。
何ていうオバカ。
タロウ二年生、気を取り直してグランドに出撃し、いつもよりは少し早く帰宅しました。
□□君とは遭遇できたのだが、△△君とは会えなかった、二人しかいなかったからつまんなかったという。
「さっきオレね、みんなが来なかったから、嫌われてるのかなーって思って悲しかったの。だから、電話したくなかったの」
そうかそうか。
そういうこともあるよね。
早く行って待ってたのに誰も来ないから、嘘をつかれた、裏切られたと思ったのかな。
こういう単純な行き違いや誤解を繰り返して、何とか「お約束」の意味とルールを憶えていくのだろうなあ。
40分も一人で待っていたタロウ二年生は、これで経験値アップしたんでありましょうか???
それにしても道のりは遠い・・・・
習い事(スイミング)も同じクラスの友達数人と一緒にバスで通っているので、やっぱり「待ち合わせ」してバス停に行く。バス停でふざけっこしながら待つ。バスの中でおやつを分け合い、毎回が遠足気分。
もう、トモダチ命!って感じ。
しかし何しろメマイがするほど幼いので、待ち合わせの場所は決めても時間を決めて来ないんだよねー。仲良しの遊び友達もタロウ二年生と大して変わらない幼さなので、行き違いもしょっちゅうです。
本日もまた。
帰宅してランドセルを放りだし、麦茶をゴクゴク飲むと「グランドに集合なんだ!そのあとだれかんちで遊ぶかは、まだ決めてないの」と飛び出して行きました。
30分後、△△君から電話
「タロウ二年生、いますか?」
「友達とグランドに集合だって言って出かけたよ」
「ハイ、分かりました」
その10分後、タロウ二年生帰宅。
ムカついたような、でもしょんぼりしたような顔つき。
「オレはずっと待ってたのに、誰も来なかった」
「誰と約束したの?さっき△△君から電話が来たよ」
「集合するのはね、オレと△△君と、□□君。でも二人とも来ないの」
「じゃあ電話してごらん」
「ヤダ」
「何で?」
「・・・・」
このあと、三人の母達の電話が飛び交い、つまりガキ共は時間を決めずに約束して勝手な時間に集合場所に行き、それぞれみんな「友達が来ないーー」ってがっくし帰宅したということが判明。
何ていうオバカ。
タロウ二年生、気を取り直してグランドに出撃し、いつもよりは少し早く帰宅しました。
□□君とは遭遇できたのだが、△△君とは会えなかった、二人しかいなかったからつまんなかったという。
「さっきオレね、みんなが来なかったから、嫌われてるのかなーって思って悲しかったの。だから、電話したくなかったの」
そうかそうか。
そういうこともあるよね。
早く行って待ってたのに誰も来ないから、嘘をつかれた、裏切られたと思ったのかな。
こういう単純な行き違いや誤解を繰り返して、何とか「お約束」の意味とルールを憶えていくのだろうなあ。
40分も一人で待っていたタロウ二年生は、これで経験値アップしたんでありましょうか???
それにしても道のりは遠い・・・・
チャリンコ物語
2003年5月11日本日も、ママチャリでマウンテンバイクにつきあいました。
先週あこがれの新車を手に入れてからというもの、タロウ二年生のヤツは、暇さえあれば自転車に乗りたがります。
本日は「スイミングに自転車で行きたい」と。
スイミングまでは片道5キロ〜6キロ。車道と歩道の分かれた道路だけを通って行けます。よーし、しょうがない、ママがつきあおうじゃないか。
ゆっくりゆっくり走って、片道20分ちょっと。
気温は低いが風もない晴天で、絶好の自転車日よりでした。
鬼母にとってはいい運動です。
タロウ二年生にとっては、安全運転の路上教習って感じかな。
車道と歩道が分かれている道路って、つまりでかい通りです。交差する細い道路から出てくる車・自転車・人、細い道路へ左折する車。ガソリンスタンドやコンビニ等の駐車場から歩道を横切って出てくる車。
歩道とはいえ、けっこうアブナイ。路上教習の教官って疲れます・・・・
故郷では、小学校一学区分の公団の団地住まいでした。子どもが遊んでいる時間帯に団地内に入ってくる車なんて、ほとんどナシ。住民の車以外には、せいぜい宅配便のトラックくらいのものでした。
そういう「公園のなかにおうちがある」ような環境から県庁所在地の中心部近くに引っ越してきたタロウ二年生は、いわゆる一つの「イナカのネズミ」でございます。
経験値・かぎりなくゼロ。いつ車にひかれてもおかしくないです。
疲れるけれど、休日のたびに路上教習をくりかえして「自分の命は自分で守る」技術をたたき込むしかないのだなあーー(諦念)。
痛む体、老骨にむち打ってがんばります。
先週あこがれの新車を手に入れてからというもの、タロウ二年生のヤツは、暇さえあれば自転車に乗りたがります。
本日は「スイミングに自転車で行きたい」と。
スイミングまでは片道5キロ〜6キロ。車道と歩道の分かれた道路だけを通って行けます。よーし、しょうがない、ママがつきあおうじゃないか。
ゆっくりゆっくり走って、片道20分ちょっと。
気温は低いが風もない晴天で、絶好の自転車日よりでした。
鬼母にとってはいい運動です。
タロウ二年生にとっては、安全運転の路上教習って感じかな。
車道と歩道が分かれている道路って、つまりでかい通りです。交差する細い道路から出てくる車・自転車・人、細い道路へ左折する車。ガソリンスタンドやコンビニ等の駐車場から歩道を横切って出てくる車。
歩道とはいえ、けっこうアブナイ。路上教習の教官って疲れます・・・・
故郷では、小学校一学区分の公団の団地住まいでした。子どもが遊んでいる時間帯に団地内に入ってくる車なんて、ほとんどナシ。住民の車以外には、せいぜい宅配便のトラックくらいのものでした。
そういう「公園のなかにおうちがある」ような環境から県庁所在地の中心部近くに引っ越してきたタロウ二年生は、いわゆる一つの「イナカのネズミ」でございます。
経験値・かぎりなくゼロ。いつ車にひかれてもおかしくないです。
疲れるけれど、休日のたびに路上教習をくりかえして「自分の命は自分で守る」技術をたたき込むしかないのだなあーー(諦念)。
痛む体、老骨にむち打ってがんばります。
マウンテンバイク
2003年5月6日5月3日はタロウ二年生にとって「特別な日」でした。
彼は、ついに手に入れました。
あこがれの、マウンテンバイク!
ブリジストンの「クロスファイヤージュニア」。二万円近くしました・・・・・(涙)
3歳の時に買ったちっちゃい自転車が、小学校に入った頃から使えなくなってきました。
サドルもハンドルも限界まで伸ばしたけれど、乗っている姿は「おさるの自転車」状態。
「こぐとねー、膝がハンドルにぶつかるんだよー」
タロウ二年生の訴えも尤もな状況でした。
しょうがないので、3月はじめに父親と近所の自転車屋に行って、予約。
「2年生になったら新しい自転車を買ってあげる」
という約束を前々からしていたからです。
3月は予約だけ。
ゴールデンウイークに現物を手に入れて、親と一緒に新車を乗り回す練習をするという計画でした。
「欲しいモノ」をねだられても、すぐには買わない。
わが家のポリシーです。
3月から一昨日まで、二ヶ月間待たせました。
この二ヶ月間、タロウ二年生は
「マウンテンバイクを買ったら、どーする、こーする」
という計画を連日発表し、そのやかましいことと来たら・・・・・・しかし、そのうるささに耐える価値があると思いました。
我々夫婦は古い考えの両親かもしれない。でも
「あれがほしい!」
という強い願いがあって、手に入れられることを激しく願い、我慢して待って待って、やっとそれが自分の物になったときの喜び、それをタロウ二年生にも味わって欲しかったんだよね。
我々が子どもだったころには、そうだった。
「新しい自転車が欲しい!」(父親)
「リカちゃん人形が欲しい!」(母親)
そういう強い欲求、なかなか許されない欲望が充足したときの喜びって、この年になってもまだ憶えています。
タロウ二年生の父親は、小学生のころ自転車を買って貰った時のうれしさ、風景、お店の様子、買ってくれた時の自分の父の表情まで覚えているという。
ジジババに甘やかされ、「あれ欲しい」と指さした瞬間に手に入るというタロウ二年生の状況、どう考えてもマズイ!
「渇望と喜び」の感覚を知って欲しかった。
というわけで、この3日間、タロウ二年生の喜びにつきあうため、親はサイクリング三昧でした。つかれたーーーー!!
タロウ二年生は6段ギア付きだけど、我々は錆の浮いたママチャリなんだよね。
この先、どんどん遠出したくなるだろうから、ママチャリでつきあうのには限界がありそう。
タロウの学校では、子どもだけで遠出するのは禁止されております。
それに、交通事故を考えると保護者同伴じゃないとサイクリングなんて不可能。
というわけで、必然的に大人用ギア付き自転車の購入を迫られてるんだよね。
ああ、財布がどんどん軽くなるーーー
彼は、ついに手に入れました。
あこがれの、マウンテンバイク!
ブリジストンの「クロスファイヤージュニア」。二万円近くしました・・・・・(涙)
3歳の時に買ったちっちゃい自転車が、小学校に入った頃から使えなくなってきました。
サドルもハンドルも限界まで伸ばしたけれど、乗っている姿は「おさるの自転車」状態。
「こぐとねー、膝がハンドルにぶつかるんだよー」
タロウ二年生の訴えも尤もな状況でした。
しょうがないので、3月はじめに父親と近所の自転車屋に行って、予約。
「2年生になったら新しい自転車を買ってあげる」
という約束を前々からしていたからです。
3月は予約だけ。
ゴールデンウイークに現物を手に入れて、親と一緒に新車を乗り回す練習をするという計画でした。
「欲しいモノ」をねだられても、すぐには買わない。
わが家のポリシーです。
3月から一昨日まで、二ヶ月間待たせました。
この二ヶ月間、タロウ二年生は
「マウンテンバイクを買ったら、どーする、こーする」
という計画を連日発表し、そのやかましいことと来たら・・・・・・しかし、そのうるささに耐える価値があると思いました。
我々夫婦は古い考えの両親かもしれない。でも
「あれがほしい!」
という強い願いがあって、手に入れられることを激しく願い、我慢して待って待って、やっとそれが自分の物になったときの喜び、それをタロウ二年生にも味わって欲しかったんだよね。
我々が子どもだったころには、そうだった。
「新しい自転車が欲しい!」(父親)
「リカちゃん人形が欲しい!」(母親)
そういう強い欲求、なかなか許されない欲望が充足したときの喜びって、この年になってもまだ憶えています。
タロウ二年生の父親は、小学生のころ自転車を買って貰った時のうれしさ、風景、お店の様子、買ってくれた時の自分の父の表情まで覚えているという。
ジジババに甘やかされ、「あれ欲しい」と指さした瞬間に手に入るというタロウ二年生の状況、どう考えてもマズイ!
「渇望と喜び」の感覚を知って欲しかった。
というわけで、この3日間、タロウ二年生の喜びにつきあうため、親はサイクリング三昧でした。つかれたーーーー!!
タロウ二年生は6段ギア付きだけど、我々は錆の浮いたママチャリなんだよね。
この先、どんどん遠出したくなるだろうから、ママチャリでつきあうのには限界がありそう。
タロウの学校では、子どもだけで遠出するのは禁止されております。
それに、交通事故を考えると保護者同伴じゃないとサイクリングなんて不可能。
というわけで、必然的に大人用ギア付き自転車の購入を迫られてるんだよね。
ああ、財布がどんどん軽くなるーーー